芥川は急いでいた。
本部内をいつになく大股で、前傾姿勢で歩く。
彼の姿を見留めた黒服たちは、そのあまりの鬼気迫る様子に慌てて道を譲り、壁と一体になるような心持を味わっていた。鉄鋼線で形状記憶させられたようにひらりとも靡かない黒い外套が、世間にとっての禍狗の恐ろしさを僅かに覗かせている。時折こぼれる空咳でさえ、悪魔の咆哮のように思えてならない。
携帯端末が発する微かな電子音がその外套の衣嚢から聞こえた。芥川は足も止めずに衣嚢から端末を取り出し、チッと舌を打った。液晶に表示された者の名前に顔を顰めると、気持ちが連動するように外套の裾で獣が唸る。「――用もないのに連絡するな、愚者め」
それでも律儀に通話に出るのだから、元来真面目な性分なのだなと見る者を納得させる。しかし、そんな噛み付く勢いで電話に出られた相手はたまったものではない。
「用があるから連絡したんだろ、じゃなきゃこっちから願い下げだ」
「ふん。貴様からの用件など、本来であれば握り潰し貴様ごと混凝土詰めにして二度と這い上がれぬよう横浜湾の海底に沈めているところだ」
「なっ……分かった。合同任務じゃお前は一切協力しないどうしようもない役立たずだって今度太宰さんに進言しておく」
敬愛する師の名前に、芥川の機嫌はますます降下していく。「巫山戯るなよ人虎。貴様に何の権限があって――」
その間にも芥川の足は止まることがなかった。
目的地は本部ビル内にある通信保管所。かつて人虎生け捕り作戦の際に情報を整理していた場所であり、ポートマフィアが各企業との取引で使用した通信記録の全てが管理・保管されている。
芥川は目的の部屋に辿り着くなり周囲を見渡し、誰もいないことを確認した。
「……着いた。あとでかけ直す」
「は? あ、おい、芥が……!」
ピッ、という微かな電子音の後は、あの喧しい虎の鳴き声も聞こえなくなる。芥川は息を吐き出す代わりに咳を漏らし、電子解除鍵で扉を開けた。
内容次第では背信行為にあたり、暴露れば即刻処分される。
それでも芥川が決行したのは、偏に敬愛する師のためだった。
「太宰さんの様子が怪訝しい」
敦から深刻な面持ちで相談を持ちかけられたのは数日前。休暇を取った紅葉から、太宰に中也の行動について話したと報告を受けた後のことだった。
常であれば相談に応じる間柄ではないのだが、相談相手にかつての敵対者を選び、しかもわざわざポートマフィアの本部ビル近くで待ち伏せまでした虎の行動に興味が湧いた。命知らずな莫迦だということは知っていたが、ここまでくると愚かを通し越し、哀れにさえ思えてくる。
本部は一見すると、一介の大手商社ビルと変わらない外見をしている。しかし敵が多い商売のため、歴戦の警備員が常に周囲を監視していた。その目を掻い潜ったというのだから、流石は虎だ。芥川がビルから出てきたところを木陰から捉えた敦は、危険がないと判断できるところでその姿を芥川の前に晒した。布の刃が頸を掻き切ろうとするのにも動じず、強い眼差しで厳かに口を開く。「協力してほしい」と。
「……協力、だと?」
刃が掠め、すっぱりと切れた頬から血が滲んだ。敦はそれをものともせず、芥川の前でただ立ち尽くす。夕陽が、虎の銀毛にきらきらと反射する。
「なぜ僕が貴様などに協力せねばならんのだ」
布を収めながら芥川は訊ねた。協力を求めるためだけに、休戦協定中とはいえ敵地に単身で乗り込んできたのなら本物の莫迦だ。敦は視線を地面に落とし、僅かに逡巡を見せた。そして。
「……太宰さんの、過去と今を知っている」
「なに?」
「太宰さんの様子が昨日から怪訝しいんだ。原因はある程度予想がつくけど、僕ら探偵社だけじゃどうにもならない」
切羽詰まった様子の敦に芥川は口を噤んだ。相手は不満だが、師である太宰の一大事、というのが気になる。
「……場所を変える」
「え? あ、ああ……」
身を翻して歩き始めた芥川を、敦は躊躇いがちに追いかけた。
本来であれば人に聞かれない場所がよかったのだが、互いの自宅に招待するのは冗談じゃない、と二人は揃って否定した。そこだけは意見が合うようだ。そして数駅先にある場末の喫茶店という案に落ち着いた。
「話せ人虎。手短にだ」
向かいにはあの忌避すべき虎が座っている。
その光景は、芥川の中に奇妙な心地を抱かせた。
太宰治という共通の師の存在。それが今、二人を共同体としてまとめるつなぎとしての役割を担っているようだ。こんなにも落ち着いて向き合うのは、もしかしたら初めてのことかもしれない。
敦は頷き、尾崎幹部が私的に探偵社を訪ねたこと、中原幹部の首飾について太宰を問い詰めたこと、心当たりがない太宰が幹部宅を訪問し、以来様子が怪訝しくなったことを、ぽつりぽつりと語った。
「様子が怪訝しい、とは。具体的にどんな様子なのだ」
「具体的って云うと……まず、尾崎さんが来た次の日は無断欠勤したけど、そのあとはちゃんと定時に出社するようになった」
「は、」
思いがけない言葉に芥川はうっかり吐息のような間抜けな声を発してしまった。すぐに咳払いで誤魔化す。敦に気に留めた様子はない。「それから国木田さんを揶揄うことなく黙々と仕事して、依頼もちゃんとこなして」
「……それは」
それは怪訝しいと云うのだろうか。普通のこと、なのではないだろうか。――芥川は思ったが言葉尻を引っ込め、運ばれてきた珈琲とともに喉奥に流し込んだ。
「それに何より、目に光がないんだ」
「光?」
「どこを見てるのか分からない冷たい目をしてる。きっとマ……昔の太宰さんもこんな感じだったんじゃないかと思うような」
云い淀んだのは此処が公共の場だからだろう。誰が聞いているか分からない。芥川は「得心がいった」と腕を組み、――そして鼻で嗤った。
「さぞや恐ろしいだろうな、人虎」
「……っ」
いつもの喧嘩腰ほどではないにせよ、小莫迦にされているという自覚はあるのだろう。言葉を詰まらせた顔に不機嫌が滲む。芥川は瞼を閉じ、言葉を重ねた。
「僕は恐ろしかった。あの人が抱える闇は僕では到底理解できず、また理解することを赦されてすらいなかった。僕は地べたを這い蹲り、己の血反吐に塗れながら、それでもいつかあの人の闇を理解するに足る人間になろうと、それだけを縁に生きてきた」
「芥川……」
「あの頃の太宰さんの目は、貴様の云う通り常に昏く、闇を見据えていた。その目に僕は幾度となく射られ、焼かれた。そして理解できぬまま、やがて棄て置かれた」
太宰はポートマフィアを棄てて探偵社に入り、そして敦の云うようにその目に「光」を宿すようになった。何がきっかけかは芥川には分からない。だがだからといって、師からかつての怜悧さや狡猾さが失われたわけでないことは分かる。以前、地下牢に監禁したときに見た目は、あの頃となんら変わるところがなかった。
「あの方の中に闇が戻ってきたのだとしても、それを理解し何かできるなどというのはただの思い上がりだ。人虎。あれは底なし沼だ。踏み込んではならぬ領域。踏み込んでいいのは、あの方に認められた者のみ。―― 当時相棒だった中也さんや、亡きご友人のようにな」
鋭く研磨した黒曜石の眸で吐き捨てるように云い切った芥川を、息を呑んだ敦は困惑の混じる双眸で見返した。
その瞳には月が宿っている。反射によって幾重にも光彩を変えて輝くそれは、この虎の部位で唯一、芥川が美しいと思うものだった。
「……それでも」
敦は視線に耐えきれず、俯いた。「慥かに太宰さんがどんな闇を抱えているのか――抱えていたのか、僕には分からない。想像もつかない。そんな僕が手を出そうとするのはお前の云う通り愚かなことかもしれないけど」
震える泣きそうな声。だが泣いてはいない。力強く上げられた顔には光が溢れている。――芥川にはない光が。
「僕が知る太宰さんはお調子者で、仕事もサボってばかりで、すぐ自殺に走っちゃうどうしようもない先輩だけど、それでも最後は街やみんなのためを考えられるすごい人だ。そんな人が何かが原因で元気を失くしているのなら力になりたい。問題を解決して、いつもの元気を取り戻してほしい。それじゃ駄目なのか? そういう簡単なことじゃないのか?」
真っ直ぐ貫いてくる視線が眩しすぎて痛かった。
あまりに愚直で幼稚にすら思える考えは、大きな空虚を抱えてきた太宰の前には無力でしかない。芥川の敦に対する敵愾心とは別に、それは事実として泰然と横たわっている。
それでも何もしないなどという選択肢は敦の中にはなかった。自分にできることをする。ただそれだけだと、その眼差しは語る。
あの師を以て評価せしめた力の源。芥川にとっては憎悪の対象であり、忌避すべき害獣だが、芥川にはないその光が太宰の称讃の所以だというのなら、それは己にとってもまったく無価値とは云えない。
芥川は口角を上げた。「状況は理解した」
突然態度を軟化させた芥川に、今度は敦の表情が怪訝に顰められた。
「協力はする」
「っ、ほんとか……!」
「だが貴様と組んだなどと周囲に――太宰さんに知れたら末代までの恥。故に秘密裡に進める」
「い、いちいち云い方が腹立つな……」
しかし協力を得られることにホッとしたのか、眉間に寄っていた皺が幾分緩まった。そんな虎の百面相からは早々に視線を外し、温くなった珈琲に口を付ける。鈍い苦みが口腔に広がる。
「――だが、協力は構わぬが一体どうする心算だ」
こちらもすっかり温くなっているであろうカフェラテを呑んでいた敦が、「ああ」と云ってカップを置いた。……見事な口髭については黙っておく。
「さっきも云ったけど、異変の原因には心当たりがある。それもあって芥川が適任だと思ったんだ」
「……どういうことだ」
敦は頷いた。「そもそもの発端は、尾崎さんが中原さんの異変を太宰さんに伝えたことだ。そしてその異変に最初に気付いたのは芥川、お前だろ」
首飾のことを云っているのだというのはすぐに分かった。
屑籠に無造作に入れられていた黒い首飾。あれが太宰から中也への贈り物(かつての中也曰く押し付けられたものだそうだが)だということは知っていたし、文句を云いながらもそれを大事にしている姿を芥川はずっと見てきた。中也は物も人も大事にする類の人間だ。傷んでいたら修繕し、少しでも長く使おうとする。壊れたからといって簡単に投棄するのは、芥川の知る中也ではない。
しかし拾い上げた首飾は特にどこも壊れている様子がなかった。修繕の必要性も見られず、何かがあったのかもしれない、と直感した。そして真っ先に紅葉に報告した。彼女は中也の育ての親のような存在だと聞いている。芥川ですら覚えた微かな違和感を彼女がどのように捉えるのか、それが知りたかった。
とはいえ、それとこれと一体何の関係があるというのか。
抱いた疑問に対する答えは、意外にもあっさり、そして思いがけない形で敦の口から発せられた。
「これは僕の感覚だから太宰さんがどうかは分からないけど、恋人にあげたものが屑籠に棄てられてたら、誰だって大なり小なり衝撃を受けると思う」
「………………恋人?」
芥川は普段、感情の起伏に乏しい。意図してそうしているわけではなく、喜びも哀しみも、驚きや、楽しいという感覚さえ、全て平らに均されているのだ。そういう感情を持ち合わせていないと云ってもいい。ただ一つ、憎悪に関しては、マフィアに与するより以前から凶暴にその爪を尖らせている。
そんな芥川の頭の中を埋め尽くしているのは、断崖に押し寄せる波濤が岩塊に叩き付けられ白波を散らすような驚愕と衝撃である。
恋人――恋しく思う相手。相思相愛の関係。
芥川には、恋だの愛だのということはよく分からない。けれどあの、顔を合わせれば間違いなく口汚い言葉の応酬を繰り返していたあの二人が、辞書に載っているような「恋人」の定義にあてはまるとは思えなかった。それどころか想像だにしていなかった。
目を見開いたまま固まる芥川に、「あれ、もしかして知らなかった……?」と、敦がおそるおそる訊ねる。
「おーい、芥川くーん」
「…………っ」
視界の端でちらつく手のひら。口髭を付けたままの敦が何とも云えない表情を浮かべながら、芥川の前に手を翳している。
芥川はハッとした様子で、ゆっくりと視線を巡らせた。
「…………すまぬ」
額に手をあてて動揺を押し隠すが、敦相手に意味もなく謝罪するなど、それこそ最大の動揺の顕れだということに、芥川はまだ気付いていなかった。
「なるほど、だから太宰さんは……」
「お、おい、大丈夫か芥川……」
「問題ない。――つまり貴様は、太宰さんの様子が怪訝しいのは中也さんの現状と関連があり、大元である中也さんの問題を解決すれば太宰さんも元に戻る、と。そう考えたわけだな」
「あ、ああ」
芥川は二回、深呼吸した。だいぶ落ち着いてきた。
「尾崎幹部は太宰さんに原因があるということを仰っていた。あの人が中也さんに何かをし、それに怒った中也さんが首飾を棄てたのでは、と」
「具体的には浮気を疑ったみたいだけど、太宰さんはそれを否定した。そして本人に確かめようと、その日のうちに中原さんの自宅に向かった」
「だが収穫はなかった」
敦が頷く。「これはあくまで僕の勘だけど、」
店内は人がそれなりにいて、二人の会話を気に留めている様子の人はない。それでも内容が内容なだけに敦は周囲を気にし、内緒話のように声を顰める。
「もしかして、異能が関係してるんじゃないのかな」
「異能……?」
「太宰さんが浮気したにせよ何にせよ、話で聞く限り中原さんはそんなことで癇癪を起すような人じゃない。何か別の外的要因があって、その影響を受けて事態が悪化してるんじゃないかって思うんだ」
「莫迦め。貴様で辿り着いたということは太宰さんとて可能性の一つとして考えたに違いない。それなら疾うの昔に無効化して……――いや」
はたと脳裏を過ったのは不気味な人形。「――Qと同じように、異能を媒介するものがあれば話は別か」
敦は力強く頷いた。つまり異能力者本人、もしくは媒介となるものを見付け出さなければ、解決には至らない。
「もし中原さんがここ数日の間に異能にかかったのだとしたら、その間の行動が分かればある程度条件が絞られてくる」
「……成程な。貴様が僕を頼った理由は、中也さんの一週間から十日程度の行動記録を要求するためか」
「それもある。何より中原さんの変化を、おそらく一番近くで見聞きできるのはお前だ。もし本当に異能が原因なら、ほかにどんな変化があったのかを細かく見極められれば、異能の性質も見えてくるだろ」
芥川は少なからず感心していた。
慥かに敦の云う通り、中也と太宰双方の状況を理解した上で、その変化を中立的な視点で見極めることができるのは、今のところ芥川を置いて他にない。紅葉では中也に肩入れしすぎるきらいがあるし、幹部の私事にかなり踏み込んだ内容となるため雑な人選もできない。
そして芥川は、渦中の人物たちから良くも悪くもその人格形成に決して小さくない影響を受けている。
「幹部の行動記録、通信記録、その他あらゆる記録は、本来持ち出すことのできぬ重要機密事項。セキュリティが幾重にも張り巡らされ、データは暗号化され、閲覧をするにも準幹部級以上の承認が必要になる」
「尾崎さんに協力は頼めないのか」
「あの御方は優しい。無論、協力を仰ぐことも可能だろう。が、中也さんに異能がかけられていると知ればその心労を増やすことになる。それは避けたい」
敦が不思議そうに双眸を瞬かせた。なんだ、と問えば、お前でも人のこと気遣えるんだな、と。余計なお世話だ。
「それじゃあどうするんだよ」
身を乗り出しかけた敦に、しっしっと小蠅を追い払うように手を振る。そして「危ない橋を渡ることになるが、」とひと言云い添え、
「探偵社が抱える情報屋に、ポートマフィアのサーバーを一時的に電網攻撃させる」
「…………はぁ!?」
「監視の目を誤魔化すための一時的な小細工だ。もし余計な情報を引き出そうものなら僕が責任を持って後で処断する」
「い、いやいやいや、そんな物騒なこと頼めるわけないでしょ!?」
大音声で動揺を隠しもしない敦を「煩い、黙れ」と嗜める。敦は周囲を見回し、店内の視線が此方に集まっていることに気付いて慌てて縮こまった。
「田山といったか。妹が随分と世話になったようだが」
「あ? ああ、まぁ……でもあの人、ポートマフィアは嫌いだって……」
「構わぬ。兄として是非とも挨拶しておきたい」
くつくつと喉を鳴らす芥川を、敦が睨む。「……余計なことはするなよ」
その呟きに芥川は答えなかった。代わりに珈琲を口に含み、一言。
「とりあえず、店を出る前にその口周りを拭くことを勧める」
「………………早く云えよ!」
そして冒頭に戻る。
田山花袋の協力は意外にもあっさり得られた。雨曝しの木板のみで組み立てられたような古びた共同住宅で、布団の中から気怠げに二人を出迎えた花袋は、初めこそ芥川に敵意を剥き出しにしたが事情を聞くなり唐突に涙した。恋に破れたばかりの男にとって、恋が終わりそうな二人の話は身につまされて辛いのだという。
花袋が一時的に監視プログラムを停止・改竄している隙に、この十日間、中也が取引に赴いた場所やその間のやり取り、日程表の詳細などを小型情報記憶端子に複製する。勿論、侵入の痕跡は後で花袋の方で消す手筈になっている。
マフィアの情報機関に電網破りなど、本来なら殺されて然るべきところだが、今回は情報を操作するわけでも、外部から機密事項を抜き取るわけでもない。単純に、芥川がデータを閲覧・複製するときに邪魔になる監視映像記録を一時的に別の時間帯の録画映像とすり替えるだけにすぎないのだ。重要なシステムを侵害することがないため、仮令電網破りの痕跡に技術班が気付いたとしても、警戒レベルが上がる程度で逆探知される心配はないだろう、というのが芥川の読みだった。それに花袋とて素人ではない。逆探知されたところで身元が割れない程度の小細工はできるのだから、敦が心配するような事態にはなりようもなかった。
芥川は、普段情報の入力に使用するのとはまた違った操作感に、久しくない緊張を憶えていた。いや、緊張というより高揚に近いかもしれない。手早く情報を抜き取り、何食わぬ顔で保管室を後にした。端子を衣嚢に隠し、代わりに携帯端末を取り出して、敦宛に任務完了の報告をする。これで花袋が証拠を隠滅すれば第一関門突破だ。
「――なんか、お前楽しそうじゃないか?」
報告時、敦は怪訝な声で電話口に云った。「莫迦を云うな」
「いや、だって声が、」
「合流は明日でいいな。報酬の件は後日連絡すると伝えろ」
「……分かった。じゃあ明日の夕方、この前の喫茶店で」
返事はせずに通話を切り、詰めていた息を吐き出す。
楽しいか楽しくないか以前に、声だけで「楽しそう」と気付かれたのが解せなかった。「……不愉快だな」暗転した液晶を見下ろしながら、ぽつりとこぼす。
そのとき。
「どうかしたのか、芥川」
ぴしり、と背筋が伸びた。
低いが威圧感はなく、尊大なようで人当たりのいい声。背後から近付く靴音が、一定の調子でリノリウムの床をこつこつと叩く。芥川は平静を装って振り返った。
「中也さん」
「珍しいな、こんなところで会うなんて」
きょとん、と丸くなった蒼。黒い帽子の下で、夕陽色の髪が揺れる。親しみのある兄貴肌と暴力の化身とが同居する渦中の人。内勤なのかいつもの黒外套はなく、袖を捲ったジャケット一枚で立っていた。そのいつもの装いの中に、勿論黒い首飾はない。
「中也さんこそ、何かご用でも」
「あ? ああ。ネットの接続が不安定だったから、技術班に検証してもらおうかと思ってな」
「なるほど。――では僕が伝えておきましょう」
「いいのか?」
芥川は表情一つ変えることなく頷いた。「僕も同様の不具合を感じていたが故」
おそらく回線が不安定なのは花袋が侵入した影響だ。今そのことが露見するのは流石に拙い。
芥川の咄嗟の嘘を中也が疑った様子はなく、「悪いな」と申し訳なさそうに眉尻を下げて笑った。芥川は観察するように、中也の表情を窺った。
太宰と中也の関係を敦から聞かされたときは衝撃のあまり固まってしまったが、思えば太宰が組織にいた頃からその片鱗はあった。
闇をも呑み込む深淵を湛えた黒い眸。片方は包帯に覆われて見えず、それがさらに、絶対零度の冷たさを加速させていた。芥川が覚えているのは見上げたその眸の深さとそこに映る空虚。――だが、それが時折鳴りを潜めることも知っていた。
中原中也と共にいるときが、その一つだ。
一度、後学のためと云って双黒の任務に同行したことがあった。
「さもない仕事だ、中也一人で十分だろう」
太宰はそう云って、任務直前に厚さ一糎程の紙の束をぞんざいに中也に抛った。任務の作戦指示書だ。それを見た中也は当然眉間に皺を寄せ、「手前はいつもこうだ、もっと早く寄越しやがれ」と、指示書で太宰の胸をばしばし容赦なく叩いて文句を云った。なんてことをするんだ、と思い、芥川が声を出そうとしたが、太宰の眸を見た瞬間に言葉は消えた。
中也を揶揄うことに楽しみを見出している口元は笑みを形作り、闇を湛えていた筈の瞳は生き生きと輝いていたのだ。あの太宰さんがこんな顔をするなんて、と思った記憶がある。
その後、中也が一人で殲滅行動をとる様子を、太宰は倉庫の壁に寄り掛かりながら凝と見詰めていた。いつもは部下たちの様子を詰まらなそうに見ている上司の目は、中也の動き一つ一つを決して見逃すまいと凝らされている。しかも直前に渡された指示書の内容を中也は当然の如く完璧にこなして見せた。雑魚を一掃し、標的だった異能力者を追い詰め、捕縛。芥川が加勢するまでもなかった。
「流石中也だ」
本人の前では絶対に云わないであろう心からの賛辞の言葉を、芥川と、頭上に浮かぶ月だけが聞いていた。
「……中也さん」
「ん? どうした」
芥川は口を開きかけ、しかし言葉がうまく見付けられずに唇を噛み締めた。
中也の様子には、どこも怪訝しいところなどない。話に聞くもう一人の当事者の方が、その変化は顕著だ。だがそれも致し方ないのかもしれない。
「芥川?」と、訝る上司に「すみません」と頭を下げる。中也は驚いたように目を丸くした。
「いや、なんで手前が謝ンだよ」
「思考の坩堝に嵌った僕の無意識が、用もなく中也さんを呼び止め困惑させてしまったことへの謝罪です」
「はぁ?」
訳が分からないと云いたげに首を傾げ、やがて中也は声を立てて笑った。「やっぱ芥川おもしれぇわ」と、何がツボに嵌ったのか分からないが、涙まで拭っている。
「いいんだよ、別に。雑談は嫌いじゃねぇからな」
「――では一つ、よろしいでしょうか」
「おう。なんだ、云ってみろ」
先程は躊躇が勝ってしまったが、確認したいことが一つだけあった。芥川は、真っ直ぐ上司を見詰めた。
「――太宰さんのこと、どう思われますか」
問いを発した直後、芥川は息を呑んだ。
聞いてはならぬこと、つまり「地雷」を踏んだのだと、即座に察した。
先程まで和やかに話していた筈の中也から、表情という表情が一気に剥落したのだ。まるで油絵の表面を小刀で削り取るように。
「……どう、って。奴はただの裏切り者だろ」
最初は、本当に嫌い合っているのだと思っていた。彼らが口を揃えて云う通り。
だが実際の言葉と、心の奥底で考えていることが必ずしも一致するとは限らない。芥川がそう感じたのは初めて汚濁を目にしたとき。心底嫌っている人間に己の命を預けるなど、普通はできない。
「……もし、」
芥川は震えそうになる唇を叱咤し、言葉を続けた。
「もし今後“汚濁”を使わなければならぬ状況に直面したときは、どうするお心算ですか」
太宰の介助なしには命の危険すら伴う、ポートマフィアを支える絶対の力。最近起きたデッドアップル事件でも、太宰のおかげで事なきを得ているものの、かなり危ない橋を渡ろうとしていたという。
「あー……そんときゃ、手前に俺の後始末を頼むか」
「……は?」
思いがけない言葉に耳を疑った。
「汚濁形態じゃ俺は自身での制御が効かねぇ。敵意があるやつは全員ぶっ潰しちまう。――逆に敵意さえなきゃ近付くのはそう難しいことじゃねえ。殺意を殺して俺に近付き、毒を塗った小刀で心臓を貫け」
それがまるで最適解であるような。太宰という制御装置の存在をまるで無視したかのようなその言葉とともに、親指を心の臓に突き立てる。そんな上司に、芥川は今度こそ奥歯を噛み締めた。
もし、ここまでの拒絶を太宰本人が突き付けられたのだとしたら。
(――辛い、などというひと言ではとても云い表せぬ)
あれほどの熱情を向けていた相手であればなおのこと。一度は心を通わせたであろうに、これではあまりに不憫ではないか。
芥川は頭を下げ、踵を返した。
技術班に足を向けるということもすっかり失念してしまっていたが、そんなことはもうどうでもよかった。携帯端末を操作し、なかなかつながらない電子音に苛立ちを募らせる。
「――もしもし」やっとで出た敦に、芥川は静かに云った。
「前言撤回だ、人虎。今日の夕刻、小型演算器を持って例の茶店に来い」
「は? なんだよ、急に」
「太宰さんのためだ。早急に片を付ける」
敦がその電話を受けたのは、ちょうど花袋の家から事務所に戻ってきたときだった。朝一番に花袋の住まいに直行し、芥川と連絡を取りながら、時機を見計らって花袋がプログラムを操作する。「ポートマフィアの鼻を明かす絶好の機会じゃ!」と目を爛々と輝かせる無精髭に、頼むから変なことはしないでくれ、と天に祈ったのはもう二時間も前になる。
社内は殆どが出払っていて、所謂社長席では、乱歩が棒飴を咥えながら新聞を広げていた。真剣に熟読しているようだが、目的は四コマ漫画なので読み終わるのは早い。「ひーまー」と、すぐに新聞紙を放り出して椅子にだらしなく凭れた。
「敦はいいねぇ。ここ数日、随分楽しそうなことしてるみたいで」
通話を終えた端末をぱちんと閉じ、机に鞄を置いたところでそんな言葉を投げかけられ、ギクリと肩を揺らす。「楽しそうなこと?」と、午后から軍警本部で行われる医療研修の資料を作っていた与謝野が顔を上げた。
「最近何かこそこそしてるとは思っていたが……」
「や、やだな。そんなわけないじゃないですか」
あはは、と苦しい笑いが漏れる。だがまだまだ新入社員も同然の敦が敵う相手であるわけもなく、「ふぅん?」と、与謝野が口角を上げて近付いてきた。悪い笑みだ。
「水臭いじゃないか敦ィ。妾らには云えないッてのかい?」
肩に腕が回され、がっちり掴まれる。迫力が違いすぎて、喉から引き攣った声が漏れた。しかしすぐ、与謝野の興味は机上に置かれた鞄の中から出た紙の束に注がれた。あっという間に開放され、ホッと息を吐く。
「なんだい? この女」
「あっ」
与謝野が持っていた紙には一人の女性が映っていた。何の変哲もない、黒く長い髪の女だ。やや勝ち気な黒目が、レンズの向こう側を挑戦的に見詰めている。今にも動き出しそうな艶やかな口唇が蠱惑的だ。
「――五、六年くらい前に話題になってた異能力者でしょ」
写真を見たわけでもないのに、乱歩は席から投げやりに云った。「異能力者?」与謝野の視線が、言葉を発した乱歩から再び写真の女に落とされる。
「そ。いろいろやらかした挙げ句に現在まで行方不明になってる、ね」
「乱歩さん、ご存知なんですか?」
「まぁね。行方不明のその女を捜してほしいって警察に云われたのを、僕が断った案件だから」
「断った?」
珍しい、と驚く与謝野の声に重なる、棒飴を砕くガリッ、という音。乱歩は飴の欠片が貼り付いた棒を口から抜き取り、よいしょと立ち上がった。
「なんで断っちまったんだい? 乱歩さん」
棒を屑籠に入れ敦の机の横まで来た乱歩は「貸して」と徐に資料を引っ手繰った。
「この人が死んでるなら捜すのも吝かじゃなかったんだけどね。流石の僕もポートマフィアに目を付けられるのは御免だったから当時は目を瞑ったんだ」
「ポートマフィアの関係者なのかい、この女」
「まったくの無関係ではない。――この件については、太宰に確認するのが早いんじゃない?」
糸目の奥から翡翠が覗き、敦を捉えた。
万物を見透かす透徹の眼差し。探偵社の頭脳。
敦は開きかけた口を引き結び、逡巡に視線を彷徨わせ、息を吐いた。「……聞けないですよ」
「でも太宰に関することなんだろ?」
返された資料には、ここ数日の間に敦が独自に調べたことが記載されている。
芥川が中也の情報を収集する間に、敦は関連しそうな異能力者を捜し出す。その心算で動いていた。
――口吻をすることで、対象から”好き”という感情を奪う能力。
非常に珍しい異能力だった。力の可能性に賭けて情報を集めれば然程難しくなく入手できる。だが入手したのはいいものの、乱歩の云う通り当の本人は行方不明になっていた。五年も前から。
「……中原さんの件、この人が関わってるんじゃないかと思ったんですけど、警察も特務課もどこにいるのかまではまだ掴めてなくて。生きてるのかどうかも分からないし、本当に関係しているのかまったく見当違いなのか、それすら全然見えなくて」
「なんだ敦。結局首突っ込んでたのかい」
「太宰さんにはいろいろお世話になったし、僕にできることならお手伝いしたくて」
結局一人ではできないからと、芥川や花袋を巻き込む結果になってしまってはいるが。
困ったように苦笑する敦に、与謝野は口元を綻ばせて肩を竦めた。「いい後輩じゃないか」と。そんな与謝野とは対象的に、乱歩は飄々として云う。「僕は首突っ込まないままの方がいいと思うけどなぁ」
「なんでだい?」
与謝野の声を背中で受ける。乱歩は自分の机に置かれた菓子箱の中から個包装のクッキーを取り出し、口に放り込んだ。咀嚼しながら振り返る。
「――だってさ、馬に蹴られたくはないだろ?」
恋人の態度が急変した。――そんな不可解な報告が警察署に届いたのは五年前のことだった。
警察署には市民からの相談や苦情が毎日のように寄せられる。「隣近所が毎晩深夜に大声で歌ってて煩い」とか、「認知症のおばあちゃんが二日前から帰ってこない」とか、よりよい市民生活を見守る窓口にもなっているからだ。市民にとっては、血腥い暴力や痛ましい交通事故などよりずっと身近な問題でもある。そしてそうした相談案件の中に、それはあった。
「――結婚間近だった恋人が突然別れを切り出してきたっていう相談が最初みたいだ」
婚礼前の女性が婚前鬱に陥る婚事例は少なくないが、式の日取りもドレスの仕立ても全て万全に整えた状態での突然の破談に、相手の男性はどうしたらいいか分からず、あらゆるところに相談した。その一つが警察署だった。事件性を疑ったのだ。しかし結局解決策は見付からないまま、男性は泣きながら身を引いた。
当初は、警察署の誰も相手にしていなかった。
「だけど以降、別れを切り出されたり、急に恋人に逃げられたりしたっていう人からの相談が相次いでいる。これはいよいよ怪訝しい、ってことで市警の方で調査することになった。そして、原因が異能力にあることが分かった」
敦の言葉を、向かいに座る芥川は黙って聞いていた。
乱歩には関わらない方がいいと云われたが、芥川から受けた報告を聞くとやはり放っておけないと思ってしまう。
――中也さんからは、太宰さんに対する感情の一切が欠落している。
それは敦が考えていた可能性の一つを裏付けるものだった。異能力が原因だと仮定して、それによって失われたもの。中也の中の、太宰に対する好意(と呼んでいいかどうかはよく分からない)そのものが丸々抜け落ちてしまっている。
夕方、直帰すると告げて探偵社を辞した敦は先日芥川に経緯を話した喫茶店へと向かった。そこには既に芥川が待っていた。珈琲を口に付けかけていた彼は敦の姿を見留めるなり「遅い」と一蹴し、情報の共有を急かしたのだった。
指示通りに持ってきた小型演算器には、敦が調べた女性異能力者に関する情報が入っている。紙の資料は嵩張るので、社の机の書類箱に置いてきた。
敦は演算器の液晶を芥川に向けた。途端、その表情が僅かに動く。眉があれば、片方をぴくりと持ち上げるようなそんな動きだ。
「……この女」
「知ってるのか?」
五年前、警察に頻繁に寄せられていた相談案件に深く関わっていたとされる女性異能力者。その写真を食い入るように見詰めていた芥川が、ぽつりと云った。「――僕があの方に拾われ、ポートマフィアに与しだした頃、」
視線は画面を通り越し、遠く過ぎた日々を見ている。黙って言葉を待つ敦に向けられることもなかった。
「双黒の任務に同行したことがあった」
「……双黒?」
首を傾げた敦に返る応えはない。「そのとき捕縛されていた女だ」と、抑揚のない声が告げる。
「太宰さんは女を地下牢に閉じ込め、そのとき僕に、”利用する価値のある者を見極める目を持つように”と仰った」
息を呑んだ。
あの太宰が、今は行方不明となっているこの女性を捕まえた?
驚愕に目を見開く敦を視認した芥川が、侮蔑するように笑みを浮かべた。
「マフィアの仕事は多岐にわたり、暴力や誅戮はそれを合理的かつ効率的に進めるための手段の一つに過ぎぬ。太宰さんは女の力をマフィアに利するものと考え、女を尋問した」
「じ、尋問って……」
「平たく云えば拷問だ」
「――ッ」
敦はマフィア時代の太宰を殆ど知らない。触れてはならないという不文律のようなものが社内にはあって、誰も根掘り葉掘り聞こうとはしなかった。それに聞こうとしたところで、どうせのらりくらりと躱される。
今、その片鱗が垣間見えてしまった。
きっと知らない方がいい。敦はそう直感した。
「……で、でも、その人なら、中原さんから感情を消すことができる、ってことだよな」
「可能性としては考えられる」
「問題は今どこにいるか、だよな……そっちにはもう、その……いない、んだよな?」
「いない。獄死したという話もなく、脱走したのではないかと一時期騒がれてはいたがな」
このまま聞いていると思考が追い付かなくなりそうだ。敦は意識を別な方に向けようと、空咳する芥川から受け取った情報記憶端子を演算器につなぎ、一つ一つのフォルダを解凍していった。この中には、中也のここ十日ほどの動向が詰まっている。マフィア幹部の予定など普通は見られるものではない。こちらはこちらで、少しドキドキした。
「……うわ、国木田さん並の過密スケジュールだ」
真っ先に開いたのは日程の管理表――正確には事後報告に基づく情報のため、予定として立てている国木田のそれとは性質が異なるのだが、それでも密が過ぎているように思える。
「某IT会社の技術開発局との資本提携に関する会議に某有名企業の社長との会食、某運輸会社西方支部の掃除……”掃除”?」
「いわゆる殲滅だ」
「えッ」
分刻みの日程表の中に休憩時間らしきものはない。このどこかで異能力者と交戦しているのかもしれないが、パッと見たところそれらしいものもなく、電子化された報告書の方を見てみることにした。
「中原さんって、ああ見えて仕事熱心な人なんだ」
「然り。でなければあの若さで幹部になることなどできぬ。況して……」
「中也がどうかしたのかい?」
声は突然降って湧いた。
敦と芥川は弾かれたように顔を上げ、隣の席で足を組んで腰掛ける青年に揃って目を丸くした。「太宰さん……ッ」と、敦は動揺に声を震わせた。
「敦君ダメだよ? 個人情報を含む仕事の書類をあんな無造作に机の上に置きっぱなしにしたりして」
云われてハッとした。紙の資料では嵩張るからと、全てデータ化して演算器に取り込んだものの、資料の方は書類箱の中に入れたままだった。太宰はそれを見付け、全てを察したのだろう。
「……それより君たち、いつの間にそんなに仲良くなってたの?」
「「仲良くなってません!!」」
「うん、結構」
にこりと底の見えない微笑。客卓の上に肘をつき、組んだ手に顎を乗せながら「それで、」と言葉を続ける。「君たちはなぜ、マフィア幹部の動向をこそこそ嗅ぎ回っていたのかな」
冷たく研ぎ澄まされた刃物のような双眸。感情のこもらない、マフィアの目。
敦は背筋に冷たいものが這うのを感じた。よく見知った目の前の青年が、今は知らない人のように見える。
「芥川君、君の場合は背信問題にもつながる。随分とワイルドな自殺方法を選んだようだが楽には死ねないよ? 知ってると思うけど」
「……ッ」
「敦君もだ。今でこそ探偵社員ではないとはいえ、つながりのある人間を危険なことに巻き込むのはいただけないな。もし事が露見し、万が一のことがあったらどうする。責任はとれるのかい」
「……すみません」
二人は揃って項垂れた。言い返すことができなかった。
よかれと思い、始めたけれど、太宰の言葉はまさしく正論だった。
だが責める心算はもともとなかったのか、後ろ頭をがりがりと掻き混ぜながら深い溜め息を漏らす。「まったく。お節介もほどほどにしたまえ。でないと身を滅ぼすよ」
それは私の本意ではない、と小さくこぼれた呟きに顔を上げる。「知ってたんですか……?」と恐る恐る問う敦を見る鳶色には、ほんの少しだけ温度が戻りつつあった。
「……君がこそこそ何かを調べているのはね。まさか芥川君と組んでまで動いているとは思いもしなかったけど」
芥川は奥歯を噛み締めた。敦と手を組んでいるなどと思われたくなかったが故の反応だったが、それは今云うべきことではない。芥川が顔を上げた。
「太宰さん」
「……何かな」
太宰の視線が緩慢に芥川を捉える。底知れない深い闇を湛えた双眸。まるで太宰さんまで異能にかかってしまったようだと、敦は思った。
「此度の中也さんの件については、この人虎から聞き及んでいます。僕の記憶が慥かならば、かつて貴方が捕らえた女異能力者が酷似した力を持っていた筈。その者を見つけ出すことができれば或いは」
「――……知ってるよ、それくらい」
それはさも当然のことを聞かされたときと同じような反応。今日の天気が晴れだということは誰もが知っている。そんな雰囲気すら漂う、抑揚のない声。虚をつかれた敦も、言葉を遮られた芥川も、目を丸くして太宰を見る。
「抑々この私が、自分で捕まえた異能力者の力を忘れると思うかい? 中也の異変を知って真っ先に思い浮かんだし、そんなのは君たちに云われるまでもないことだ」
太宰の視線は既に二人には向けられていなかった。
伏せたままの睫毛が、その双眸に昏い影を落とす。
「……あれは、自分から望んで異能にかかったんだ」