半裸で煙草を蒸しているその背中には傷がある。全て古傷だ。変色した皮膚が、まるで継ぎ接ぎしたかのように中也の小柄で筋肉質な躰を覆っている。
それを眺めていた太宰は、ふと思い立って手を伸ばした。指先で古傷を捉え、変色部と元来の皮膚との境目をついとなぞる。すると思いがけない刺戟だったのだろう。肩が震えた。
肩越しに、じとりとした視線が太宰を捉えた。「触んじゃねぇよ」蒼い三白眼が鋭く睨め付ける。
「なに、気持ちよかった?」
「煩せぇ」
中也は再び視線を前に戻してしまった。肺を紫煙で満たし、ゆっくりと吐き出す。
その煙を、中也は甘いと云う。苦味の中の甘み。それがいいのだと云うが、そのよさを太宰が理解できた試しは未だにない。組織にいた頃からそうだった。「口寂しいなら檸檬味の飴でも舐めてればいいのに」とぼやきながら、口から離れた隙に火を点けたばかりの煙草を指の間から取り去り、サイドボードに置かれた灰皿の上で捻じ消してしまう。
「何すんだよ、勿体ねぇ」
「あのねぇ……鳥頭の君には分からないかもしれないけど深夜火災の原因は殆どが寝煙草なの。火の点いた灰が布団に落ちでもしたらどうするのさ」
「そんときゃそこの水で冷ましゃいいだろ」
常備してある一本のペットボトルを指差し、事も無げに云う。太宰は嘆息した。
「ほんと、なんで最中はまだ可愛げがあるのに終わった途端これなの。せめて余韻にくらい浸らせてよ」
「はぁ?」
情緒がない、と云いながらごろりと寝返りを打つ太宰を、心底わけが分からないとばかりの視線で中也が見ていた。「余韻ってなんだよ。手前、そんなもん俺に求めんのか」そう云って鼻で嗤う。
「太宰の腕枕なんかで寝たら悪夢に魘されそうだ」
「何その云い草。仮にも恋人じゃないの、私」
「恋人だと思ってほしいんならまずは行動で示すんだな」
「行動ねぇ……」
中也だって同じじゃないか、とは、太宰は云えなかった。夜が明ければこの悲惨な室内の掃除も食事の用意も彼がするのが分かっていたからだ。文句を云いながら、それでも律儀に二人分の朝食を作ってくれる。わざわざ出汁を取ってから味噌汁を作るのも、和食が好きな太宰のためだと思いたい。
太宰は額に腕を乗せて仰向けになった。溜め息を一つ。
「なんでこうなっちゃったのかなぁ……」
「そりゃこっちの台詞だ」
にべもなく答える背中から感情を読み取ることはできない。しかし、背中を見せるというのはある種の信頼の証であると太宰は認識していた。
彼は職業的にも境遇的にも敵が多すぎる。そしてそれらを片端から斃してしまえるだけの強さもある。無防備と緊張の切り替えが、まるで室内灯の電源のように素早く簡単にできてしまうのだ。もし、今此処で太宰が小刀を取り出したとしても、彼は難なくそれを受け止めるだろう。七年前、〈羊〉の構成員の一人から受けた仕打ちは、彼の中で慥かに経験値として生きている。
だが一方で、太宰がそれをしないということもその背中は知っていた。どんなに険悪な仲でも、口喧嘩が絶えなくても、中也にとって害になることを太宰はしない。
それは出会って間もない頃からそうだった。
命の危険が伴う状況を、太宰の頭脳と中也の肉体を使い二人で切り抜ける。無論、生きるために。
死にたがってばかりの太宰にとって、中也はいつだって「生」の象徴そのものだった。
「ちゅーや」
かつてなら考えられないようなとびきり甘い声に、ぴんと糸が張ったように背筋が伸びる。「……なンだよ」と、おそるおそる振り返る姿は警戒する小動物のようで、太宰はそんな中也に笑みをこぼしながら、掛布の端を持ち上げた。中也は真意を推し図るように太宰の目とその手を交互に見遣り、やがて大きく息を吐いて後ろ頭を掻き混ぜた。
「……云っとくが、もうしねぇからな」
「それは残念」
ジト目で睨みながらも大人しく布団の中に潜り込んでくる。腕に収まったのを確認し、肩までかけてやる。
灰皿の横に置いてある室内灯の遠隔操作機を操作し、常夜灯に切り替えた。腕の中にはちょうどいい場所を探してもぞもぞと動く小さな躰。収まりのいい場所を見付けたのか、やがて静かな寝息が聞こえてきた。疲れていたのかもしれない。
「おやすみ、中也」
佳い夢を、とは喉奥で発せられるばかりで、中也の耳に届くことは終ぞなかった。