最初で最後の鎮魂頌

 ケェスの中は明るかった。
 橙色の照明が仄温かく辺りを照らす。傷みに配慮した最新鋭の空調が、温度・湿度とも和泉守兼定にとって居心地のよい快適な空間を作り出していた。冬の冷たさに刀身を凍てつかせて軋む身体を持て余すことも、梅雨のまとわりつくような湿気に肌を湿らせることもなく、ついうとうとと居眠りをしてしまいたくなるような居心地のよさである。
 それは周りにある匣すべてに共通するようだったが、生憎とその厚遇への感謝を語らい合えるような相手はここにはいなかった。
 一方、匣から見る外の世界はとても暗かった。絵画だの屏風だの書状だの、照明に弱い他の作品が傷まぬよう、全体的に明かりは落とされているのだという。おかげで匣の中はより一層明るく感じられ、また、一層刀身を美しく見せるのだ。
 そんな中をそぞろ歩く人間たちのざわめきに耳を傾けながら、兼定は匣の中で胡座をかき、膝に頬杖をつく形で日がな一日呆っと座していた。詰まらぬ日々である。詰まらなすぎて、ついつい舟を漕いでしまう。
 見る夢はもうずっと昔のことだった。
 緩慢とした時の流れに、人の世も三代、四代、と移り変わっただろうか。それくらいの時間が経ってなお、激動の時代もその後数百年を経て訪れた不可思議な力に覆われた戦の時代も、兼定にとってはつい昨日のことのように思えてならなかった。人と同じように肉体を持ち、人と同じように日々を過ごしたことも、まるで時の流れに飽いた意識が見せた、束の間の白日夢にすぎなかったのかもしれない。
 かつての相棒やかつての仲間たちとともに、人間の真似事をして過ごした日々。こんな風に過ごせたならばこの退屈も少しは紛れるだろうかなどと思いながら、それはひどく鮮明な記憶を持って兼定の夢に顕れた。

 幽体、もしくは魂と呼ばれるものは、いつの頃からか土方某とともにあったことだけは確かである。そのときも相棒は傍らにいたし、語らい、笑い合うこともあった。もし同じ硝子匣の中に彼がいたならば、きっと今頃は退屈せず、思い出話に花を咲かせることもあっただろう。郷里を離れ、かつてほんの少しだけ主とともに訪れたことのある地に、短期間とは言えひとりぽつねんと置かれることは非常に心もとないことであったのだと、改めて思う。
 ここに相棒はいない。
 いや、もうこの世界のどこにも、かつて共に過ごした相棒はいないのだ。
 きっと彼がいたならば困ったように笑うだろう。「しっかりしなよ、浅葱の羽織が泣いちゃうよ?」と己の口調を真似てからからと笑うのである。その笑顔を思い出すと自然と笑み溢れる。「兼さん」と呼ぶ声は夢にしておくにはもったいないほどこの耳にしっかりと焼き付いていて、既にないはずの実体が、感覚だけを残して記憶に留めていた。高すぎず低すぎないその声が呼ぶ己の名はなんと愛しく、そしてさみしげであっただろう。
 肉体を失い、魂だけの存在となった今、本体とともにこうして郷里を中心に各地を点々と巡る以外にない己は、あの頃のように生だの死だの、そういったしがらみを気にすることはもうないのかもしれない。悲しみも喜びも、愛しさも切なさもすべて肉体を失ったときに置いてきてしまった。記憶だけが、一人の男としての「兼定」を生かしているのだ。
 けれど実際には違ったのだと、それを見て改めて思う。
 置いてきたものとばかり思っていた感情がすべて、固く閉ざされた匣の中に大切にしまわれていただけだということを自覚した。その匣は周りを覆う硝子板のように頑丈で、けれど硝子のような透明さは欠片もなかったから気付くことができなかっただけにすぎない。

「堀川ー」
 名前を呼ぶ声がした。
 目の前に立つ、見知った黒髪の青年。少年の面差しを残しつつも、確かにそこには大人の色がある。左に流れる前髪を耳にかけ、右手の指先を硝子匣にそっとつける。堀川、と呼ばれたその青年に、兼定は息を呑んだ。
「くに、ひろ……?」
 ああ、なんということだろう!
 さらに流れた幾年月、片時も忘れたことなどなかった相棒の脇差が今、目の前に立っているではないか。
 もう会うこともないだろうと思っていた。
 審神者の持つ不可思議な力が、すべての終わりとともに不要となったあのとき。存在を維持することができず、ただ消えゆくばかりだった相棒と再び相見えようとは。
 兼定はそっと手を伸ばし、堀川国広が触れる硝子にそっと指先を添えた。
 見た目に反して厚みのある硝子は、彼の体温を伝えてはくれない。
 けれどそれでよかった。もう幾度となく掻き抱いたその痩躯のぬくもりを、たとえほんの指先だけとは言え感じてしまえば、きっとそれだけでは飽き足らなくなってしまう。もっと触れたいと、全身が叫んでしまう。
「くにひろ」
 そっと名を呼ぶも、彼の耳には届かない。彼のその大きな碧の瞳は、一心に「和泉守兼定」の刀身に向けられている。刀掛台とともに郷里から持ち込まれた、かつての拵えを残したままのその一振りに、半開きになっていた国広の小さな口が僅かに動く。「これが」
「ほーりーかーわー」
「わッ」
 国広の背後から伸びてきた腕が、無遠慮にぽん、とその薄い肩に回された。「加州君」と国広が言ったように、そこには加州清光の姿がある。
「単独行動は慎みましょうって小学生のときに言われなかったかなー?」
「ご、ごめん」
「なに? 気になるものでもあった?」
 その後ろから大和守安定がひょっこり顔を出す。「うん」と言って視線を向けたのは、硝子匣の中に入った「和泉守兼定」。
「これが鬼の副長の」
「そうみたい」
「一応メインだからかな。人増えてきたし少し下がろう」
 安定の提案に二人は頷く。硝子越しに、僅かにでも触れ合っていた手は呆気ないほど簡単に離れていった。
 硝子越しに触れていた手がなくなっても。
 その小さな背中が遠ざかっても。
「――ッ」
 その手を掴むことはできない。
 その背を追いかけることはできない。
 兼定は硝子についた手で拳を作った。俯くと、ないはずの目頭がじんわりと熱くなるような感覚を覚える。
「国広」
 これが、定めというものなのか。



(了)

あとがき

兼堀は自分にとって難しく、常に手探りで書いていました。SNSでの作品発表が当たり前になったことに加え、これまで経験したことのないほど母数の大きなジャンルに足を踏み入れてしまったことで、数多の良作と自分の書いたものとを比べては落ち込み、今度こそあの良作と肩を並べたいと力んで書き、また落ち込み、と繰り返していたのを覚えています。これまでのジャンルでは自分が書きたいものを書いていたはずだったのに、兼堀に来てからは誰かに評価されることを目的に書いてしまうようになっていて、最後はとても苦しかった。今も、正直兼堀は見るのも語るのも辛いジャンルです。
そんな中にあってこのお話は、たとえ短くとも自分らしく書けた一本だったんじゃないかなと、思います。

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