夢問答

「たまに、“あ、これ夢なんだ”って夢の中で分かる瞬間があるんだ」
 トウヤはぽつりと呟いた。「景色も色も匂いも、風の冷たさだって実感できるからはじめは現実だって疑いもしないんだけど、そこにいるはずのない人がいたり、ありえないものがあったりすると途端に納得する」
 誰もいない森の中。ぱちり、と爆ぜた火が控えめに野次を飛ばす。
「そういうときに感じる落胆って、意外と大きいんだよ」
 遠くで何かが鳴いている気がした。風がざわめいて忙しなく木々を揺らし、まるで竜の咆哮のように低く空気を震わせている。いつもなら怖いと思うのに、なぜだか今日は少しも怖くない。――その理由を、トウヤ自身はよく理解していた。トウヤは組み立て式のコンロで温めていた鍋の中に蜂蜜を数滴垂らし、くるくるとかき混ぜ始めた。
「夢もいろいろあるからね。ボクがキミに告げたような起きて見る夢もあれば、寝ている間に見る夢もある。正夢、予知夢、白昼夢――挙げればキリがない」
 木の幹に寄りかかっていたNが返すように言葉を紡いだ。「ボクには、キミの見る夢が悪夢でないことを願うことしかできないけれど」
「最近見るのはいい夢ばかりだよ。……というか、懐かしい夢。カラクサで初めてNと出会ったときのこととか、一緒に観覧車に乗ったときのこととか」
 ふふ、と懐かしむように、トウヤの目元が柔く綻んだ。
 トウヤにとって観覧車は特別だ。それまでは遊園地にある数あるアトラクションの一つでしかなかった筈なのに、いつの間にか、何か象徴的なものに変わっていた。
 ひと言で言えば「伝説のはじまり」。ポケモンを開放するんだ、と告げた無垢な筈の空色が、曇天に霞んでいるのを見た。威圧的に、一方的に話すばかりで、ただの変な人、怖い人でしかなかったNという青年が、観覧車の外をぼんやりと眺めながら独り言のように静かに語っている。その姿があまりに心細く、同じことを語っている筈のゲーチスとはまったく対象的に見えたので、頭ごなしに否定することができなかった。
「そういえば、あの観覧車で初めてキミに夢の話をしたんだったね」
「あのときはびっくりしたよ。急に“自分はプラズマ団の王だ”なんて言い出すんだもん」
「街中に拡散していたプラズマ団たちをキミから遠ざけるのがボクの役目だったから。でも本の中でしか見たことのなかった観覧車に乗ってみたかったというのも事実だし、約十五分間の密室が約束されるあの空間ならキミともゆっくり話ができる。当時のボクからすれば一石三鳥だったんだ」
 Nの周りにはいつの間にか、行き場のない森のポケモンたちが集まっていた。それぞれが穏やかそうに寝息を立てたり、うとうとと船を漕いだりしていた。Nの膝を枕にして眠るチラーミィは一般的なサイズよりも少し小さい。Nは笑みをこぼし、その頭にそっと触れた。 「――先日、ある少年に案内されてキミの家に行った」
 Nが口を開いた。
「キミとよく似た女性が出迎えてくれたよ。はじめは驚いた様子だったがすぐに理解を示してくれた。トウヤのともだちか、と。そこで初めてキミがボクを捜し回っていたと知ったんだ」
「聞いたよ。……人のレポート、勝手に読んだでしょ」
「キミの母親が見せてくれたんだ。悪いとは思ったがキミの軌跡がそこにあると思ったらどうしても見てみたくなってね」
 トウヤがイッシュ地方に戻ってきたのはつい最近だ。かつて壊滅に追い込んだプラズマ団は慥かに弱体化していたし、半数は改心した様子で、ポケモンの保護活動などを行っていた。旅した街の一つ一つが少しずつ変わっていて、自分ばかりが何も変わらず、まるで切り取られた時間の中に取り残されたような心持がしたものだった。
 それでも故郷は変わらなかった。久し振りに自宅の扉を開けると、部屋の掃除をしていた母が変わらない笑顔で出迎えてくれた。
「残念、すれ違っちゃったみたいね。あなたの捜してたともだち、うちに暫くいたのよ」
 第二次プラズマ団事件とも言える出来事からゆうに数か月が経過していた。
 旅先でイッシュの情勢を知ることは難しい。テレビやラジオで報道されるのは大抵その地方のことばかりだし、海を越えて遠方ともなると情報は必然的に伝わりづらくなる。久し振りに故郷に降り立って初めて、見知った街や人々が危機に晒されていたことを知った。
「ママも容赦ないよ、ほんと」
「おかげであの頃のトウヤが何を考えていたのかを知ることができた」
 満足げに笑みを深めるNに対し、トウヤは気恥ずかしさを隠せなかった。
 当時はアララギ博士への報告のため、こまめにレポートを纏めていたのだ。バトルの記録、反省と対策、出会ったポケモンの特徴や個性、簡単な日記。
 その中には勿論、Nとの出会いについても書いてある。

――カラクサタウンで変な人に会った。

 最初は本当にただの「変な人」でしかなかったのだ。一方的に早口で捲し立て、こちらの真意を問いかけているようでありながらその実、こちらの答えに一切の関心を持っていない。自分の世界だけで生きているような人。幼馴染の言う通り、関わらない方がいいと本能が告げていた。
 なのに、彼はそれを許してくれなかった。

――またあの人に会った。なぜか一緒に観覧車に乗ることになった。
――「プラズマ団の王」。最近頻発している事件の主犯の一人。慥かに彼はそう言っていた。
――密室なんだからその場で逃げられないよう拘束して警察に突き出せばよかったのかもしれない。ベルのムンナを奪った連中の仲間。
――……でも、あの人のポケモンを想う気持ちは本物だ。だから、話せば分かり合える気がする。

「もしキミの言う通り互いに腹を割って話していれば何かが変わっていたのかもしれない。……どんなに仮定したところで起きてしまった過去を変えることはできないけれど」
「僕は結局、話しても何も変わらなかったと思う。Nって意外と頑固だし」
 くすりと喉奥を鳴らしながら、ぐっと伸びをして空を見上げた。
 きらきらと瞬く満天の星々。森の木々の先端をつなぐように、ミルクをこぼしたような白い川が流れている。
「あ、」
 そこに、まるで涙が伝うように一筋の光が駆け抜けていくのを見た。
「流れ星だ」
 チラーミィを優しく撫でていたNもまた、視線を上空に向けた。
 何億年、何十億年と昔に輝いていた星々のきらめきが集まるミルキーウェイ。そこを横切る、燃え尽きる寸前の星屑たち。灯り一つない森の中からは、それは一等美しく、儚く見える。
「Nは知ってる? 流れ星が消える前に願い事を三回唱えると叶うって話」
 先程はたまたま運がよかっただけなのか、二度目はなかなか訪れなかった。
「流れるのなんて一瞬だからできこないって、初めて聞いたときは思ったんだけど」
「一見不可能に思えるからこそ、それができればどんなことも可能になる、ということなんだろうね。キミともう一度観覧車に乗りたいという願いも、流れ星に三回願うよりは遥かに簡単なことだと思えるよ」
 星屑を掴み取ろうと手を伸ばす。けれど指先は虚しく空を掻き、そのまま、Nは拳を握った。
 どんなに荒唐無稽で、非論理的・非合理的であると分かっていても、今この場でなら許される気がしたのだ。
「キミだったら、流れたあの星に何を願う?」
「……僕は、」
 トウヤは漸く、正面に視線を戻した。
温まった小鍋を手に取り、用意していたカップにホットミルクを注ぎ入れる。
 ぱちぱちと爆ぜる火の音。温かな橙色の灯り。

 一人きりの、森の中﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅

「僕の願いはあの日から変わらないよ。――……N。君に会いたい」

 イッシュ地方にはいくつか不思議な力が宿る場所が存在する。ポケモンが持つ不可思議な能力の影響を強く受けていると考えられているが、科学者が束になってかかっても未だに全てを解明することはできていない。
 その一つが「ハイリンクの森」だ。イッシュ地方の中心にあり、かつてマコモ博士によるムンナの「ゆめのけむり」を使った実験によってその存在が実証され、世界的な注目を集めた。被験者たちは夢を介すことで、どんなに離れた場所にいる人とも交流することができるようになる。一般に普及すればコミュニケーションのあり方そのものが変わるだろうと期待されていた。
 しかし、夢を介した交流は当人たちにしか知りえない。そのため、論文が発表されて以降、テロリストや宗教団体などによる犯罪の温床になりかねないという批判が常に付き纏っていた。時間や空間、あるいは次元そのものを越える現象が度々報告されているような地域の研究者たちは特に警鐘を鳴らした。そしてついに、夢に関するマコモ博士の研究は凍結されることが決まったのだ。
「何度も思ったんだ。Nから夢を奪った僕がどの面下げて会いに行く気だって」
 カップを両手に持ったまま膝を立て、背中を丸める。
 Nがいなくなった後、トウヤは暫くの間その場を動くことができなかった。何も考えられずただ立ち尽くすその背中を見ていた幼馴染が、「放っておくのも捜しに行くのも君の自由だ」とぶっきらぼうに、けれど確信を持って告げたほどだ。
「言いたいことだけ言っていなくなったNに納得がいかなくて、イッシュ中を捜してみたけど見付からなくて、そうこうしているうちに、Nは僕に会いたくないのかもしれない、わざと避けてるのかもしれない、って思うようになった。国際警察の人に“ほかの地方で見た”って言われて勢いで飛び出したけど、本当に会っていいのかどうか分からなくなってたんだ」
 ポケモンを救うんだよ、と。まるで子どもが無邪気に夢を語るような純粋さで、けれど確固たる信念をもって言ったNの横顔がちらついた。それが、逆光に消えた彼の寂し気な微笑にどんどん塗り潰されていく。夢を挫かれた彼は、あのとき何を思っていたのだろう。――考えるほどに怖くなった。
「……でも、会いたい気持ちは本物だよ」
 だから此処に来たんだから、と独り言ち、鞄の中から使い古した一冊のノートを取り出した。
 日付は二年前。かつて使っていたレポート用ノートだ。イッシュを出るときに自室の机の中にしまったそれは、久し振りに帰ってみるとわざとらしく机の上に置かれていた。誰かが覗き見たのは間違いない。けど、母ではない。――その答えはすぐに知れた。
「ハイリンクの研究についてはゆめの跡地にいたムシャーナから聞いて知っていたんだ」
 Nの独白に、膝の上で眠っていたチラーミィがぱたり、と柔らかな尻尾を揺らした。「キミがボクのことを捜していると知って湧き上がった感情はおそらく“うれしい”というものだ。避けていたつもりはないがキミにそう思わせてしまったのなら謝りたかったし、何よりもう一度あの観覧車で、キミと話がしたくなった」

――明日イッシュを発つ。
――これで最後。Nが僕のことを避けていてもそうでなくても、これで見付からなかったらもう追わない。

 トウヤがイッシュを出ると言っても母は何も言わなかった。「いってらっしゃい」と、あの穏やかな微笑みとともに送り出してくれる。女手一つで育て上げてくれた感謝を返すためにも、この我儘はだらだらと続けるわけにはいかなかった。
 区切りを付ける。
 その覚悟をしたためた日記がレポートの最後になった。――そして机の上に出しっぱなしになっていたノートの最後に、覚えのない一文センテンス

――夢で逢えたら。

「キミに会うにはキミの家に長居するのが一番だというのは分かっていた。でも流石にいつ戻るか分からないのに世話になり続けるわけにもいかなくてね。――だから、ムシャーナの話を思い出して“夢”に頼ろうとしたのだけど」
「ハイリンクはもう誰ともつながらない。マコモ博士に何度も言われたよ。でも、僕も賭けてみたくなったんだ」
 Nはトウヤを避けていたわけではなかった。それが分かっただけでも心がスッと軽くなるようだった。
「……僕たち、すぐ会えるよね」
「会いに行くよ。必ず」
 夢だと分かって見る夢はときに虚しい。けど、そればっかりではないのだ。
 夢は、いつか“本当”になるのだから。



(了)

あとがき

ここだけの話し、当時ハイリンクを使っていなかったので具体的にどんな内容だったのかあまり覚えてないのです……すみません。あとで気付きましたがたぶん夢島と混同しちゃってますね。ただお互いに会話しているように見せて実は別のところにいる、みたいな話を一回は書いてみたいと思っていたので個人的にはお気に入りの一本だったりします。

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