たとえ指輪はおもちゃでも

「なぜ人は伴侶の証を必要とするのだろう」
 あまりに唐突な問いかけに、トウヤは食べかけの食パンを手から取り落としてしまった。こんがり焼けたハムがパンの下敷きになってしまっている。その様子を真正面に捉えたNが、「どうかしたのかい?」と、心底不思議そうに首を傾げた。
「それはこっちの台詞! どうしたの、急に」
 頭のいい人というのは偶に、自分の頭の中だけで会話を組み立てて完結させてしまうことがある。一段どころか四段も五段も飛ばして階段を上っているようなものだ。会話の始まりはいつだって突拍子がない。
 昔ほどではないにせよ、Nは出会った頃からそうだった。
「ポケモンも伴侶を持つことはあるが彼らと違って人間は伴侶を得るのに煩雑な手続きや装飾が必要になる。それがどうにも不思議でね」
「装飾って……結婚式とか?」
「日常的に指を身に着ける風習も含めて、だよ」
 そもそもあの指輪には何の意味があるというのか。畳み掛けるように問うNに、トウヤは残念ながら答えることができない。Nと同様、その意味を知らないからだ。ふむ、と人差し指と親指で顎を軽く掴み、所謂「考える人」の姿勢ポーズで考える。
 昨日のことだ。種々雑多な人が行き交うこのパシオに、誰の悪戯か結婚式の最中に連れてこられた新郎新婦と出くわした。混乱する彼らをいつも通り尊大な態度で、けれど慥かに温かみのある歓迎の言葉とともに出迎えたこの島の管理者の取り計らいで、その場にいた全員で結ばれたばかりの二人を祝福したのだ。
 その様子を見たからだろうか。彼の口から突然「伴侶」などという言葉が飛び出したのは。神様の前に近いの祝詞を捧げ、その証として指輪を交換し、口唇を交わすのは、彼の言う通り慥かに人間だけかも知れない。結婚式だけではない。成人式や、葬式だってそう。毎年誕生日を祝うのだって。
 ――Nにとってそれは純粋な疑問だったのだろう。
(……Nは興味あるのかな)
 結婚。――トウヤにしてみればまだまだ先の話で想像もつかないけれど、Nはそうではないのだろう。もしかしたら昨日の光景を目の当たりにして、将来の伴侶に想いを馳せたりしたのかもしれない。
 聞いてみたい気持ちとは裏腹に、トウヤには僅かな恐怖があった。聞くことへの恐怖――知ってしまうことへの恐怖。未だに名前を付けられないでいる自分たちの関係が、知ってしまえば途端に泡沫のように消えてなくなってしまうような気がして、怖かった。

 朝食を終え、簡単に身支度を済ませてから外に出る。
 今日はライヤーの屋敷を訪ねる予定だった。Nが直接話したいからと取り付けた約束だ。少し意外だったけれど、彼が自ら人と関わりを持とうとするのは素直に喜ばしい。
 隣を歩くNを見上げると、小春日和と呼ぶに相応しい冬の澄み渡った空が見えた。黒い帽子の影の下。きょろきょろと興味深げに当たりを見回す青灰色の双眸が、あの空と同じように好奇心で煌めいている。
 広場の巨大なクリスマスツリー。賑わう露商マーケット。今朝まで降っていた雪の淡化粧の名残。街全体がクリスマス一色に染まり、Nはそんな一つ一つの風景を、まるで目に焼き付けるように一心に眺めていた。
「ちょっと寄り道していこうか」
「時間大丈夫?」
「問題ないよ。街を見物する心算で早めに出てきたから」
 そう言うが早いか、Nは足早に露商が並ぶ区画エリアへと行ってしまった。止める間もなかった。若草色の方初が、まるでゾロアークの尾のように揺れている。それを暫し眺め、トウヤは肩を竦めた。
 Nが結婚することになったら、もしかしたらこんな気分になるのかもしれない。止める権利はこちらにはなく、前へと踏み出すその背中を見送ることしかできない。置いて行かれてしまったかのようなこの心細さは、もう二度と会えないかもしれないと思ったあの崩落しかけた城での一幕と似て非なるもの。もどかしくさえ思う。
「……嫌だな」
 そんな想いを振り払うようにかぶりを勢いよく横に振り、Nを追いかけようと足を踏み出しかけた。――そのとき、とある露商が目に留まった。
「…………雑貨?」
 近付いてみるとそれは装飾品アクセサリーを中心に扱った店だった。初老の店主がにこやかに「いらっしゃい」と出迎えてくれるので、トウヤはその場を立ち去ることもできずぺこりと頭を下げ、布の上に置かれた木箱を眺めた。そしてその中の一つを手に取った。
「彼女に贈答品プレゼントかい?」
「えッ!?」
 図らずもそれは、今朝話題の中心にあった結婚指輪を彷彿とさせる指輪だった。実物は殆ど見たことないけれど、こんなところに無造作に売られていい代物ではない筈なので、おそらく本物ではないだろう。こうした行事の露商にはよくある話だ。
「シンプルだから普段遣いでもじゃまにならないし、どんな服装にも合わせやすいから特に喜ばれるよ」
 店主に悪気はなかった。奥手な男子の背中をちょっと押してくれているにすぎない。
 もし、さっきの今でこれをトウヤがNに渡したとしたら、彼は一体どんな反応をするのだろう。怖いけれど見てみたい。そんな好奇心が微かに疼く。
「指輪?」
 すると突然、トウヤの背後から音もなくNが覗き込んできた。「うわぁッ!?」と、反射的に後ずさると、そのことに驚いたNもまた目を丸くしながら後ろに引いた。危なくぶつかるところだった。
「振り返ったらキミがいなかったから戻ってきたんだよ。――……それより、」
 Nのほんの少し冷たい指先が、トウヤの持っていた指輪をすっと奪い去ってしまった。しげしげと眺めたかと思えば「ふむ……」と何か考え込むような仕草で指を顎下に添える。突然現れた長身痩躯の男に、店主も驚いた様子ながら、黙って成り行きを見守っていた。
「……これ、お揃いのものはあるかい?」
「へ? ――え、ああ。こちらに」
「ありがとう。ではこの二つを頂けるかな」
 トウヤは咄嗟に「N!」と声を荒らげた。その理由は、トウヤ自身にも実はよく分かっていなかったのだけれど。
「一度してみたかったんだ、トウヤとお揃い」
 これ以上ないほど柔らかな微笑で、これ以上ないほど無邪気な願望に、開いた口が塞がらない。
「……もしかして今朝結婚指輪の話し振ったのって、お揃いの指輪が羨ましかったからとかそういう……?」
「流石にそこまでは考えてなかったよ。ただ互いのつながりを象徴する小道具アイテムがあるというのは素敵だなと思っただけさ」
 あっけらかんとして答えるNに、トウヤは暫し呆然としてしまった。そこにからからと響く哄笑。二人のやり取りを見ていた店主が、「あんたたち本当に仲がいいんだねぇ」と言いながら、包んだ一組ペアの指輪をNに渡した。その途端、トウヤは急激な羞恥心に襲われた。
「Nの所為で変な誤解されちゃったじゃん……」
「何やら難しく考えすぎていたみたいだね、トウヤは」
「分かってたならもっと早く言ってよ」
 すっくと立ち上がり、店主への挨拶もそこそこに店に背中を向ける。約束の時間が迫っていた。
「…………これでもだいぶ分かりやすくした心算だったのだけど」
 そんなNの小さな呟きはトウヤの耳には届いておらず、店主の「がんばれよ」という揶揄い混じりの激励に、Nはただ曖昧に微笑み返すのだった。




あとがき

パシオ軸のN、コミュ力高くて未だに戸惑う。

初出:2021年12月26日


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