共に駆ける空というのも悪くない

 穏やかな潮騒に混じり、人とポケモンが織りなす賑やかな声が、パシオの浜辺には満ちている。高級リゾートの毛色が強いサザナミビーチとも異なるその趣を、トウヤはそれとなく気に入っていた。
 先日この島に降り立ったNもまた、「理想郷」だと甚く気に入った様子で語っていた。そういうところはまったく変わらないな、と内心ホッとしたものだ。今日もまた、アイリスたちと浜辺に出てバトルを楽しんでいる。以前なら考えられなかった光景だ。
 浜から近いところにある小洒落た喫茶店カフェのオープンテラスの一画に陣取って、ゼクロムの放つ雷撃に目を細める。派手だなぁ、と思いながら、傍らで休むダイケンキに「お前も遊ぶ?」と問いかけるが、今日はそういう気分ではないらしく鼻を鳴らすだけで、動く気配はとんとなかった。そんな相棒に苦笑しつつ、帽子をその頭の上に置いた。パシオの日差しは強い。眠るには少し厳しいだろう、という細やかな気遣いだった。
「派手にやってるわねぇ」
 そこに、長いポニーテールを揺らしてやってきたのはトウコだった。ひらりと手を振り、目の前の椅子に腰かける。蒼い瞳はすぐ、浜辺の方に向けられた。オノノクスの咆哮が響き渡る。
「トウコも行って来たら?」
「私はパス。この後フウロたちと買い物に行く予定なの」
 そう答えた彼女はにこにこと楽しそうだ。「だったらわざわざこっちまで来なくてもよかったのに」
「なーに? 厄介者扱い?」
「別にそういうわけじゃないよ」
 じとりとした流し目。気を悪くしてしまっただろうか、と肩を竦めて軽く両手を挙げる。見た目通り豪気な性分のトウコはそれを見てくすりと笑みをこぼすと、客卓に頬杖をついた。忍笑はそのままだが、機嫌を損ねたわけではなかったようだ。そのことに安堵し、手を下ろす。
「……で? やっと会えた王子様とはどうなの? 最近」
 トウコはなぜか、ここのところトウヤに対してNとの近況を聞いてくるようになった。ずっと地下でバトルに明け暮れる日々を送っていたのだから仕方がないのかもしれないが、Nと面識がなかった彼女にとって、故郷全土を巻き込んだ二度の危機の渦中の人物への興味は尽きないらしい。「王子様じゃなくて、元王様ね」と訂正し、氷が融けて薄まったアールグレイに口を付ける。
「この前は大会に連れてってあげたんだ。観戦だけだけど、すごく楽しそうだった」
「アイリスとのバトルも楽しそうだもんね。昨日はチェレンが絡みに行ったって聞いたけど」
「あはは! そうそう、チェレンもバトルしたかったみたい。それに相談したいこともあったって」
「相談?」
「うん、WPMの主催者の件」
 それだけで内容が伝わったトウコは、「ああ」と溜め息のような相槌を打った。
「チェレン、大変そうだもんね」
「でも放っておけない気持ちも分かるよ」

 だって彼は、どこか似ているのだ。強さばかりを追い求め、仲間たちのことを顧みることもなく、ただ我武者羅に上を目指していた、あの頃の幼馴染と。――同時に、ポケモンの声を聞くことができるのにもかかわらず本当の気持ちを汲み取ることのできなかった、かつての孤独な王様とも。

 孤独で、傲慢で、もどかしいばかりのその姿は周りから見れば痛々しいものだった。同じ悩みを抱えていた先達として、そして今や先生として、何か示せるものはないかと苦心する姿を、トウヤは純粋に「かっこいい」と思った。
「で? 何かヒントになりそうなことはあったの?」
「そこまでは分からないよ。二人にしか分からないこともあるだろうし、聞くのもなんか悪いなって思って先帰ってきちゃったから」
「えー! なんでよ、みんなで話し合った方がすぐ解決するじゃない」
 唇をとがらせて文句を垂れるトウコだったが、トウヤにとってそれは仕方のないことだった。
 経緯や目的は違えど、考えを改めたという経験は当人たちにしか分からない。何がきっかけだったとか、どんな出逢いや言葉があったとか、実体験があるからこそ、物事を立体的に考えることができる。部外者が口を挟んだって、平面的で的外れな言葉しか出てこない。だったら傍観者でいることも、一つの選択になる筈なのだ。
「……なんか、トウヤらしくない」
 そんなトウヤの持論に対し、どんどんと機嫌が下降していくトウコの目は気付けば据わっていた。「Nに会ってから、あなたちょっと変わった」
「トウコ?」
「あんなに会いたがってたのに、いざ会って言いたいこと言ったらあとはなんかドライっていうか。ともだちって言うわりには遠慮しすぎじゃない?」
 鳶色の瞳がぱちりと瞬く。
 意識したことはなかった。ただ、自分の言動や行動がNに大きな影響を与えてしまった過去を想うと、少し、怖いと思うことはある。自分が口を挟むことによって、本来進む筈だった道を選ぶことができなかったとしたら、果たしてその責任を負うことができるだろうか、と。
 それをNが気にしていないことは知っている。いい変化だったと、彼ならきっと笑ってくれるだろう。でもそれが毎回必ず正解を齎すわけではないのだ。
 そう、トウコに告げれば、彼女は心底呆れたように深く息を吐き出し、「それこそ傲りね」と独り言ちた。そして続けざまに、
「傲慢というよりただの臆病者か」と一人納得したように大きく頷く。
「私、Nのことはよく知らないけど、トウヤやチェレンのことはそれなりに知ってる心算よ。だから思ったの。トウヤはNに嫌われないようにしてるんじゃないかって」
「……それは、」
「嫌われて、自分が傷つくのを恐れてる。Nのためでもチェレンのためでも、況してやあの傲慢男のためでもない。トウヤは自分が傷つかないために、Nと距離を置こうとしてる」
 なぜ?――聞かれてもトウヤには分からなかった。
 嫌われたくない。そう思っているのは隠しようのない事実だ。責任とか大それたことを言ったが、ようはNの中の、理想のままの自分でありたいだけなのだと。
 その気持ちの発露がどこからくるのかは分からないが、彼女はきっとそれを知っているのだろう。そんな気がしたし、おそらく自分で気付くべきことなのだ。だから彼女も、それ以上言葉を継ぐことはなかった。
 トウヤは動揺と困惑で非道いことになっているであろう顔を隠すために俯き、帽子を目深にかぶり直そうと手を伸ばした。しかし、手は慣れ親しんだツバではなく虚空を掻いた。今や立派な相棒のアイマスクになっているのを、すっかり忘れていた。
 行き場を失くした手を下ろそうとしたとき、途端に視界が暗くなった。

「何を話してたんだい?」

 聞こえたのは、耳に心地いい穏やかな声。以前は言葉の難解さと合わせて思考が置いてきぼりになるほどの早口だったが、それも今は鳴りを潜めている。
 貸してあげるよ、と言って頭をぽん、と叩かれて、初めて暗くなった原因が、彼が昔から愛用している黒い帽子なのだと気付いた。――洗髪料シャンプーだろうか。良い匂いがした。
「ううん、なんでも」
 トウコがそれまでの不機嫌さを削ぎ落し、にこりと笑んだ。席を立ち、「アイリスは?」と訊ねる。
「彼女ならまだビーチにいるよ」
「そ。じゃあ私もそろそろ行こうかな」
「おや、もう行くのかい」
「このあとフウロと約束してるの。せっかくだからアイリスも誘おうと思って」
 こっちは王子様も来たことだし、と云ったトウコはトウヤに視線を送りながら笑みを深める。Nは不思議そうに首を傾げるが、特に詮索はしなかった。

 トウコを見送ってから、彼女が座っていた椅子に今度はNが座った。店員が注文を取りに来て、「彼と同じものを」と言われてむず痒くなる。そのむず痒さを誤魔化すように「今日はもういいの? バトル」と訊ねながら、帽子を返した。Nは「まだいいのに」と、笑ってそれを受け取った。
「うん。ここ暫くバトル続きだったから、ゼクロムも少し休むって」
「そっか」
「それにどうせなら、いろんなところをもっと見ておこうと思ったんだ」
「それがいいよ! 此処、おもしろいところがたくさんあるからNも気に入ると思う」
「そのようだね」
 ふふ、と笑む。その表情はどこまでも穏やかだ。
(……本当に、いろんなものを見てきたんだろうな)
 そんなNの成長を思うと感慨深いものがある。
 そのきっかけを作ったのは自分。でも、その後の成長の過程を、トウヤは知らない。

 運ばれて来たアールグレイティーは新品の氷が入ってきんきんに冷えていた。融けて薄まったトウヤのものとは違い、茶葉の香りもまだ少しは生きているだろう。結露して表面までびしょびしょになったトウヤの洋杯は降り注ぐ日差しに温められ、中には透明な水の層ができていた。
 それを、何を思ったかNは「ふむ」と一人考えこむように指を口許に添えると、徐に「交換しよう」と言った。
「え?」
 聞き返す間もなかった。洋杯が入れ替えられ、新品のアールグレイティーが目の前で濃い飴色の水面を揺らす。そして、
「え、ち、ちょっ……!」
 Nはからからと、小さくなった氷を掻き混ぜながら、ストローを咥えた。
 それがどういうことなのか。
 トウヤはもう、子どもじゃない。――でも、大人にもなりきれない。
「~~ッ、いやいやいや、ありえないでしょ普通!?」
 ガタンッ
 立ち上がった拍子に椅子が倒れ、眠っていたダイケンキが何事かと頭を擡げた。しかし問題のNは首を傾げるばかりで一向に気付かない。そればかりか、
「どうして? キミの紅茶は融けて薄まって見た目にもあんまりで味わうという代物ではない。その点ボクはさっきまでゼクロムと一緒に身体を動かしていたから味わうというよりも喉を潤すものである方が望ましい。お互いの利が一致しているのだから何も奇怪しいところはない筈だけれど」
 のべつ幕なしに言葉を紡ぎ続けるNは、本当に分かっていない様子だった。
 いや、言いたいことは分かる。分かるのだが、そうではない。
 トウヤがどう伝えたものか頭を悩ませている間に、Nは「却説、」と身を乗り出した。
「付き合ってくれるかい? トウヤ」
「……へ?」
「言っただろ、いろんなところを見てみたいと。案内してほしいというと少し語弊はあるが、ボクはキミと同じものを見てみたいんだ。パシオにいる間だけでも、同じ景色を見て、同じ人々やポケモンとのつながりを見て、感動を分かち合いたい」
 深い海の底――例えばそれは、海底遺跡のあるあの故郷の海を映したような紺青の眸が、トウヤを真っ直ぐに射抜く。純粋な、子どものようなその真っ直ぐさが、NがNであることを、何よりも雄弁に物語っていた。
 肩の力が抜けていく。

 ああ、本当に、会えたんだ。帰ってきたんだ。
 そう思うと、感情が寄せてはかえす波のように絶え間なく、心を揺さぶる。
 ごちゃごちゃと難しいことを考えるのは止めにしよう。Nの気持ちを疑うのももう止めだ。だって、Nは、此処にいる。それだけで。――今は、それだけでいい。
「ッ覚悟してろよ、いっぱい、いろんなとこ連れ回してやるから!」
「ふふ、楽しみにしているよ」

 Nが無邪気に笑う。そのとき跳ねた鼓動の意味を、ぼくはまだ知らない。



(了)

あとがき
ポケマスに初めてNが降臨して何年かぶりに再燃したときのものでした。エピN(アニメではない)はBW3……というよりBWの続編として最高のできだったと思います。傲慢王子君とチェレンの対比が本当に好きなのでどんどん深掘ってほしい所存。

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