夏祭り

 近々祭りがある、と聞いたのは一週間ほど前のことだった。カントーやジョウトでは馴染みのイベントで、トウヤも、これまで旅してきた地域で何度か目にしたことがあった。暑い夏に薄地の着物――浴衣というものを着て夜店を回るというのは、その地の出身でないトウヤにとっても確かに風情を感じられるものだったことは覚えている。
「お祭り?」
 目の前の席でずずっ、と音を立ててサイコソーダを啜っていたトウコが、「パシオじゃそういうのもやるのねぇ」と続けざまに頓狂な声を上げた。上に載せてもらったヒウンアイスは早々に食べ終えてしまって、僅かな白い残滓がソーダの青に溶け込むことなくマーブル模様を描いている。中のクラッシュアイスがからりと音を立てた。
「そうなんだ。よかったらトウコも行かないかなと思って」
「いいの? 行きたい行きたい!」
「Nも誘おうと思ってるんだけど、いい?」
「もちろん! お祭りは人数多い方が楽しいでしょ」
 青い瞳をきらきらと輝かせて祭りの当日に思いを馳せるその姿は、彼女がポケモンバトルに興じるときのそれと同じだった。
 このパシオでNと再会することができたのは正直奇跡だと思っている。元の土地に戻ればみんなばらばらで、起きた出来事は全て儚い夢物語として、やがて記憶の水底に沈んでいく。ここはそういう場所だと、誰も口にはしないけれど、誰もが薄々気付いている。
 ならばたくさんの思い出を作ろう。夢みたいな思い出を、それでも確かにあった出来事なのだと脳にしっかり刻み込むのだ。いつか再び離れ離れになるようなことがあっても、あのときこんなことがあったなと、ふとしたときに懐かしく思い出せるように。
「トウコ、遅いね」
 パシオでは本当に多くのトレーナーと知り合った。先程までクジに熱を上げていたトウコは、そんなトレーナーたちとポケモン勝負だと云ってその場を離れてしまった。彼女らしいけれど、祭りを全力で楽しむトウコがいなくなるとやはり、少し静かだ。
 陽が傾き始めた空に祭り囃子の音が絶え間なく響いている。おそらくオリジナルではない。異国情緒さえ感じるその音はしかし、不思議と不快ではなく、同時に漂ってくる甘い匂いに誘われて腹の虫が切なく鳴いた。隣りに座っていたNが団扇で口許を隠しながら肩を細かく揺らしているのが見え、「笑わないでよ」と口を尖らせる。
「ごめんごめん。――でもせっかくだし他の店も見て回ろうか。途中で何か食べるものを買おう」
「え、トウコは?」
「少しの間だよ。彼女もボクたちがいなければ他を見に行ったんだと気付くさ。それに勝負の後ならお腹を空かせているかもしれない」
 長椅子から立ち上がったNは戦利品のぬいぐるみを小脇に抱え、反対側の手をトウヤの目の前に差し伸べた。男の人とは思えない、筋張った細い手だ。この季節だというのに触れると少し冷たい。
「キミも浴衣を着てくればよかったのに」
 立ち上がるために取った手は離されることなく、そのままやや強い力で隣に引き寄せられた。「きっと似合うよ」
 驚いて見上げると彼の表情はにこりと綻んでいて、そのあまりの邪気のなさに自分のよこしまな感情が見透かされた気がして、急激に体温が上がった。つないでいない方の手で帽子のツバをぐっと引き下ろし、表情を隠す。「そうかな」という素っ気ない相槌に「もちろん」と大真面目に返してくるものだから可怪しかった。
「っ〜〜り、りんご飴! りんご飴買いに行こう! 実は僕も食べたことなかったんだ」
「へぇ? 意外だな。ではお揃いということだね」
 Nは至極うれしそうに、何の気なく云った。
 ああ、墓穴を掘ってしまった。
 甘い。りんご飴なんかよりももっとずっと、甘い。



「どうだった?」
 腹の底に響く花火の音。出店が立ち並ぶ区画を抜け、花火の鑑賞客が地べたに敷物を敷いて楽しんでいる会場の片隅で、打ち上がる大輪に三人、ぼうっと魅入っていた。時折ポケモンを模した花火が上がると、Nが「あれは――、」と律儀に指差しながらポケモン当てクイズに興じる。そんな彼を挟んでトウコと一緒に笑っていると、トウヤの横に小走りに近付いてきた彼女が脇腹を軽く小突いて云ったのだった。
「何が?」
「何がって……せっかく二人きりにしてあげたのに。その言い草はないんじゃない?」
「…………え?」
 ぱちり、と瞬きを一つ。潜められたトウコの声は花火と人々の歓声でNの耳には届かず、けれどトウヤには、はっきりすぎるほどよく聞こえた。
「Nが楽しめればそれでいい、なんて顔してたけど。一緒に楽しむから意味があるのよ。お祭りならなおさら。そんなのトウヤなら分かるでしょ」
 少し怒ったように、もどかしささえ感じているかのように、トウコは子どもっぽく頬を膨らませた。
 Nにはこの土地で、たくさんの思い出をつくってほしかった。これまで彼には与えられることのなかったもの。誰かとともに過ごし、思い出を共有していくという経験。心に蓄積されたそれらはやがて糧となり、過去に負った傷を少しずつ癒やしていくだろう。
 それは、本人の意志を無視したただの我儘エゴなのかもしれない。「こうあるべき」と決められた道筋を歩まされてきた彼に「こうしてほしい」と願うのは、本来ならいけないことなのかもしれない。
 それでもトウヤは願わずにはいられなかった。――彼の幸せを。
「……トウヤって、妙に達観してるのよね。難しく考えすぎ」呆れを含んだトウコの声はなおも続く。「今日だってNと一緒に遊びたかったから誘おうと思ったんじゃないの?」
「それは、」
「好きな人と同じものを見たいと思うのって、そんなにいけないこと?」
 トウコの畳み掛けにかぶさるように、一際大きな白い花が空に次々咲いた。見上げたそれらは、いつかジョウトで見た、シダレザクラというのによく似ている。歓声が大きくなる。
「見てよトウヤ。トウコも。すごいんだ」
「ほんと。ここまでくると圧巻ね」
 隣で何も気付かず花火に魅入っていたNが、今日一番の演目にきらきらとした眼差しを向けてきた。かつては何を映しているのだか分からなかった灰青の双眸には無邪気な輝きが宿っている。
「……うん、きれいだね」
 同じものを見て、思い出を共有して。
 ――本当はその思い出の中に僕もいたいのだと。云ったら彼は、一体どんな顔をするのだろう。

 

あとがき

ポケマスくんの2022夏祭りイベントネタでした。トウヤくん頑なに浴衣着ないってことは逆に王様ストップかかってるんじゃないかと思えてなりません。

初出:2022年7月2日


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