それはまるで獣のように

 窓帷カーテンの隙間から差し込む一条の光が枕元を控えめに照らす。揺り篭を緩やかに揺するような心地よさ。微睡への誘惑。もう少し寝ていたいと思うけれど、意に反して陽光は、朧に霞む思考を徐々に明瞭クリアにしてしまう。もう朝よ、起きなさい――そんな母の呆れ混じりの懐かしい声を遠くに感じながら、トウヤはふっと瞼を持ち上げた。
 ぼやけた視界に映るのは故郷にある自分の部屋ではなく、この人工島に滞在している間世話になっている宿の一室だった。二人部屋に移ったのはつい最近。二組の寝台のうち一つが空っぽであることに気付き、ぱちり、と鳶色の双眸が瞬く。
「……あれ?」
 同居人がいない。トウヤは欠伸を噛み殺しながら半身を起こした。
 いつもであれば、隣には小高い山がある筈だった。布団の中で丸くなって眠る青年はなかなか起きてこないので、白い敷布シィツに若草色の髪が散らばっている光景を見るのが最近の朝の日課になっていたのだ。
 しかし、その理由はすぐに知れた。
「――あ、そっか」
 視線を背中側に向けると案の定、健やかな寝息を立てる大きな子どもが布団の中で丸くなっていた。
 昨夜、どんな話の流れだったのかはあまりに些末なことでもう覚えてはいないけれど、昔、幼馴染三人で同じ布団に潜り、夜遅くまで語り明かしたという話をした。初めての夜更かしでなかなか寝付けず、ついには母に露見バレてしまい、夜中だというのにこってり絞られてしまったのだ。今となっては笑い話にもならない、幼い頃のさもない記憶である。しかし、Nはどこか眩しそうに目を細めながら耳を傾けていた。
(ボクもトウヤと夜遅くまで語り合ってみたいな)
 寝る間際にそんな提案が彼の口から出てきたのは、幼少期の彼の境遇を思えばもしかしたら当然だったのかもしれない。
「…………とうや?」
 二人分の体温に温められた寝台からそっと抜け出そうと身じろぐと、どうやら半覚醒状態にあったらしいNが珍しく素直に目を醒ました。ただでさえ癖のある髪はあちこちに跳ねて大変なことになっている。しかしそのことは気にも留めず、緩慢に起き上がりながら大きな欠伸を漏らした。
「……もう朝か」
「おはよう、N。早く支度しないとまたトウコにどやされるよ」
「それは勘弁してほしいな」
 ふわりと浮かぶ穏やかな笑み。慌てた様子は特にない。寝て、起きて、誰かと言葉を交わし、交流を深めるという、ありふれた一日が心底楽しみで仕方ないのだと、その端正な顔には書かれていた。何かを抑え込むことも、戸惑いに揺れることもなくなった今の彼の笑顔が、トウヤは好きだった。
「――いッ、つ」
 見惚れていたのが気恥ずかしく、ふっと視線を逸らしたとき、項の辺りにちくりと刺すような痛みが奔った。軽く息を詰め、咄嗟に手を伸ばして痛みのもとに触れてみる。指を滑らせると、Tシャツのタグが触れるか触れないかの辺りに窪みのようなものがあった。
「? どうかしたのかい」
「いや。なんか急に首が……」
 傷になってない? と襟足を持ち上げ背中を向ける。Nは虚を突かれたように目を丸くしたが、残念ながらトウヤには見えなかった。
 Nの灰色の瞳が捉えたのは、赤く鬱血した歯型痕だった。
「……N?」
「あ、ああ。――すまない」
 Nの挙動不審な態度を訝って首を僅かに巡らせる。しかし、そこで視界に飛び込んできたのはどこか甘さを含んだ柔らかな視線。愛しげにさえ見えるそれが項に注がれている事実で途端に背中がむず痒くなる。冷たい指先がつ、と傷痕をなぞるだけで、一気に腹の奥が熱くなる。トウヤは耐えきれず「も、もういいッ」と慌てて布団を抜け出した。冷え切った部屋の空気も、氷のように冷たい床板も、今はあまり気にならなかった。
「とりあえず綿紗ガーゼでも当てておこうか」
「……そんなに傷になってる?」
「そこまでではないよ。ただ、見せびらかすのが惜しいと思っただけさ」
「……?」
 ちらりと振り返る。新手の言葉遊びだろうか。だとしたら、明晰な頭脳を持つ彼の思考についていくのは難しい。
(なんなんだよ、一体)
 のそりと布団から抜け出したNが、「今日も冷えるのかな」と両腕を擦りながら治療用具の入った旅鞄まで一直線に向かう。火照る頬とむず痒いままの項を持て余していたトウヤは、彼の背中で跳ねる尻尾のような後ろ髪をただ睨み付けることしかできなかった。




あとがき

Nには感情が昂ぶったときとか存分に噛み癖発揮してほしい。

初出:2021年10月25日


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