あめだまひとつ

 故郷の町外れにある小高い丘の上。緑や黄色、白――色とりどりの草花が、初夏の風を受けさらさらと音を立てて揺れている。空の青とのコントラストが美しく、浮かぶ雲はエルフーンのように柔らかそうで思わず手を伸ばしてしまいそうになる。手が届くわけもないのにわざわざ分かりきったことをしてしまう人を、彼は愚かだと笑うだろうか。

 五年前のことだ。同じように澄んだ空の青を眺めていたとき、傍らには若草色の青年がいた。季節もちょうど今くらい。ビルばかりが建ち並ぶヒウンシティでは見える空が極端に狭く、都会への憧れはあったものの少し勿体ないような気もしていた。
「こうした建物一つ建てるのですらポケモンは棲み処を逐われる。ニンゲンの身勝手な満足のために馴染みの場所から追い出されたポケモンがどれくらいいるかキミは知っているかい」
 その日、Nと出くわしたのはまったくの偶然だった。いつもは行く先々で待ち伏せしているのかと思うタイミングで現れる彼が、こちらの姿を見留めた途端に驚いた様子で目を見開いた。その表情がなんだか新鮮で、同時に、彼の人間らしい一面にほんの少しだけ安堵した。
「知らないよ。っていうか、王様って暇なんだ?」
 僅かな嫌味を含ませて言えば「ボクだって気晴らしくらいはする」とムッとした様子で返される。心做しかいつもの小難しい話も鳴りを潜めているようで、傍から見ても少し歳が離れた友達同士に見えたことだろう。こんなところをチェレンに見られたら大目玉を食らうな、と幼馴染の眼鏡が惘乎と眼裏に浮かんだ。
「そこまで人間が嫌いなのにNはどうして僕に構うの?」
 ヒウンアイスの限定味を無事ゲットしたトウヤはNと一緒に広場のベンチに腰掛けた。滅多にない機会だというのに彼は限定アイスには興味がないらしく、キミだけ食べればいいと実に素っ気ない。
「食べてみなよ。美味しいよ?」
 店員に頼んで二つ付けてもらったスプーンをアイスと一緒に差し出す。そのときカラン、と湿った音がした。
「……飴?」
「ああ」
「そっか。それじゃあアイスは食べれないね」
 美味しいのに勿体ない。
 そうぼやくトウヤの横顔を見ていたNはふっと視線を外し、「先程の問いについてだけれど」と言葉を切った。
「キミのトモダチと同じように、ボクもキミがスキだからだと思う」
「――ッ、けほっ、げほ!」
 恥じらいもない淡々としたNの言葉に、呑み込んだアイスのひと欠けが気道を侵した。「大丈夫かい?」と顔を覗き込んでくるのがなんとも白々しい。
 トウヤは一度Nを睨み付けると、もう一度、今度は自分を落ち着かせる心算でアイスを一口含んだ。冷たくて濃厚な味わいとバニラミルクの甘さがお気に入りだ。暫くすれば気持ちも落ち着く。
 そう、思っていたのに。

「――ッ!!」
「飴の所為かな。味が分からないみたい」

 柔らかいものが唇に触れた。それが舌だと直ぐには分からなかった。閉じた唇をひと舐めしたそれは、呆気に取られて半開きになった口の中に無遠慮にも侵入を果たし、アイスを舐め取るようにぐるりと口蓋を一周して出ていった。
 広がるのはバニラミルクとは異なる甘ったるい芳香。口から鼻へと突き抜け、やがては脳へと届いてしまう。せっかくの限定アイスの味わいが、完全に上書き保存されてしまった。
「あ」
 口を開いたのはNだった。指先で口許を拭ったところで、力の抜けたトウヤの手からアイスがまるまる落ちてしまったのだ。形が崩れ、みるみる融けていく。「すまない。驚かせてしまった」
「え? ……あ、僕のアイス!」
「お詫びに今度買ってくるよ」
 今日はもう売り切れのようだから。
 Nの言葉の通り、アイス売り場からは列が消え、店員が片付けを始めているところだった。
「……約束できるのかよ」
 自分たちの立場は本来、友人や幼馴染のように気軽に会って言葉を交わせるものではない。今日、こうして会話し、一緒にアイスを食べることができたのは、半ば奇跡みたいなものなのだ。そんな含みを持たせて問いかければ、Nは「ふむ」と一瞬悩むような素振りを見せた。
「だったらこうしよう」
 嫌な予感、と言うと語弊がある。決して嫌というわけではないのだから。そしてその予感はすぐ、現実になった。――顔を上げ、再び唇を触れ合わせてきたNに驚く間もなく、コロリと何かが口の中に入ってきたのだ。
「……いちご」
 カラコロ。
 彼の口の中で溶かされ小さくなっていたそれは丸く、アイスとは異なる人工的な甘さを纏っている。
「ボクがキミにアイスをご馳走できるようになるまではそれで我慢してくれ」
 そしてポケットにもう一つ、今度は未開封の飴が入れられた。
 カラコロ。
 トウヤはそれこそ、自分の顔が熟したイチゴのように真っ赤になっていることを自覚していた。口の中でもらった飴玉を転がしながら必死になって言葉を探したけれど結局見付からず、「じゃあ、また」と去っていく背中を見送ることすらできなかった。

 もちろん、彼が約束を守ることはなかった。その後間もなく、彼がイッシュを飛び立ってしまったからだ。トウヤには引き止める術も言葉もなかった。
 憑き物が落ちたような、肩の荷が降りたような、虚無感と脱力感。手がポケットの膨らみに触れ、そこにある存在を思い出した。取り出してみれば彼の部屋で見付けた飴とは異なるよくある市販の包み紙。目の奥がじんわりと熱くなる。包みを開け、やや乱雑に口の中に放り込んだ。
 壁に開けられた大穴の向こうに広がる蒼穹に、彼の姿は既にない。チェレンたちが追いついてくるまでのほんの僅かな時間、トウヤはその場に立ち尽くしたままNの言葉を反芻した。自分の中にその存在を刻み付けるかのように。

 カラコロ
 ――……ガリッ

+ + +

「トウヤー!」
 広々とした草原に響く聞き慣れた声。横たえていた上体をのそりと起き上がらせると、昔より大人びた幼馴染が手を振りながら走って来るのが見えた。手には大事そうに紙袋を抱えている。お気に入りのマーメードスカートを履く彼女の走り方を見ていつ転ぶかとハラハラしてしまうのは、昔から変わらない。
「トウヤが帰ってきてるってチェレンに聞いたから、せっかくだしマドレーヌを焼いてみたの!」
 はい! と持ってきた紙袋から取り出されたのは歪にラッピングされたマドレーヌ。……らしきもの。一個一個透明な袋に入れられているおかげで中が見えるようになっている。少々(かなり)不安を覚える見た目だが、トウヤは「ありがとう」と笑顔で受け取った。隣に腰掛けたベルが、水筒に持参した紅茶を一緒に手渡してくれた。
 ベルは昔から料理が苦手だった。それはもう壊滅的に。いくら教えてもうっかりしちゃうのよねぇ、とはベルママの言葉だが、あれを「うっかり」で片付けられる辺りに血を感じる、とチェレンは呆れた様子だった。
 彼女も旅暮らしを経て、少しは苦手な料理を克服してくれているだろうという甘い目算が頭を過る。見た目から不安を煽ってくるマドレーヌを袋から取り出し、一口齧った。
「……美味しい」
「本当!?」
 よかったァ、と間延びした声で満面の笑みを浮かべたベルは「実は自信なかったんだ」と早々に白状した。「いつも砂糖とお塩を入れ間違えちゃうの。自分では気を付けてる心算なんだけど」
「そんなベタな……」
「本当だよ! だからいつもチェレンに怒られる」
 困ったように頬を掻くベルを見ていると、もう一人の幼馴染の苦労が垣間見えるようだった。
 おそらく彼は、彼女の料理の腕に関しては諦めているのだろう。人間誰しもどうしようもないことの一つや二つはある。ベルにとってそれが料理だっただけに過ぎない。それに今日のマドレーヌは、生地の食感自体は固くなってしまっているものの、甘さはちょうどよかった。寧ろ甘すぎるくらいかもしれない。「私も食べよ〜」と自分の分の紅茶を注ぎ、袋から取り出したマドレーヌをぱくり。
「……」
 ぴしり、と音がした。石や岩に亀裂が入ったときのような音だ。無論、それは現実に響いた音ではない。力なくマドレーヌを持つ手を下ろしたベルは真っ青な顔を隠す余裕すらなく慌てた様子で紅茶を一気に飲み干した。そしてトウヤの方へと向き直り、「ごめん!!」と両手を合わせる。
「ごめんねトウヤ! 変なもの食べさせたのに気を遣わせちゃって……ッ」
 何度もラベル確認したのになんでぇ、と半泣きになりながら食べかけを袋に戻すベルは、やっぱり味見すればよかったと言ってトウヤの持つマドレーヌまで回収してしまった。「美味しくないなら美味しくないって言っていいんだよ?」と言われ、目を瞬かせる。
「美味しくなかったら言うよ。砂糖と塩間違えてたら流石に食べられないと思うし」
「……え?」
「ん?」
 お互いに顔を見合わせて首を傾げる。
 口の中は未だに甘い。しっとりとは言い難いマドレーヌの固さも、これはこれで味があるというもの。

 カラコロ。

 ない筈の音が、聞こえた気がした。



あとがき

Nがいなくなったことによる心的外傷を味覚障害と微ホラーで表現しようとした昔の自分天才か? と思いましたがいかんせん文章がお粗末だったのでだいぶ書き直しました。pixivにはまとめとして残っていたのでtwitter初出だと思うのですが元データは見付からず……。
BW2がまだだったのでベルの服装が無印準拠になってるのなんだか感慨深い。

pixiv掲載:2011年11月27日


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