ある日の双黒

 早朝に起きた民間工場の爆発事故について、不審な点があるという理由でぐんけいから応援依頼を受けたのが午前十時。稀代の名探偵が出張で終日不在のため、担当は巡り巡って、新人の中島敦に回ってきた。爆発に不審な点……なんて嫌な予感しかしない。思わず、自分の机で植物に話しかけている金髪の少年の方へと視線を向けた。
「太宰、お前が行け」
 しかし、几帳面眼鏡の先輩こと国木田が指名したのは、本日出社してから一度も机に向かうことなく応接の長椅子に四肢を投げ出していたもう一人の先輩だった。案の定、「えー、やだよ私ィ」などと地面を這う芋虫のように間延びした低い声で答える。そうすると几帳面眼鏡に罅が入るのは時間の問題で、やれ貴様は社会人としての自覚が足りないだの、少しは民草のためになるようなことをしろだの、のべつ幕なしに言葉を連ねるものだから、敦ははらはらとその様子を眺めるしかなかった。やればできる人なんだけどなァ……、というのが、太宰という人物への探偵社の総評である。
「現場は倉庫街近くの鋳鉄工場……夜間勤務の民間人十数名が巻き添え……」
 ふぅん、と資料を音読する声はどこまでも眠たげだ。ちなみに資料は本人が手ずから受け取ったわけではなく、後頭部に乱暴に投げ落とされたものである。
「しょうがない……行くよ、敦君」
「え? あ、はい!」
 太宰は緩慢に身を起こすと、蓬髪を乱雑にかき混ぜながら探偵社を出ていった。あまりにすんなり大人しく引き受けてくれたので拍子抜けしてしまった。もっとごねるかと思ったのに。
「ちゃんと見張っとけよ」
 おかげで割れずに済んだ眼鏡を神経質そうに押し上げながら、国木田がしかつめらしく敦を見た。僕の役目は監視だったのか……と、敦は肩を落としながらも「はい!」と元気よく返事をして先輩の後を追いかけた。

「あー、やだやだやる気出ないー!」
「でも今日はやる気出してるじゃないですか」
「どうしたらそう見えるんだい……」
 だらだらと現場に向かって街を歩きながら、「イヤだ」「やる気出ない」「死にたい」「帰りたい」を連呼する先輩。慥かに少しウザ……周りに迷惑がかかっているような気がしなくもないが、その足は大人しく倉庫街へと向かっている。いつもなら「じゃあ敦君、あとはよろしく!」と、目元によく分からない星をきらりと瞬かせながらさっそうと逃げ去るか、目を離した隙にこっそり消えているかのどちらかだというのに。
 前にもこんなことがあったな、と思いながら、未だに文句を垂れる先輩をちらりと横目に見上げた。すると視線に気付いた彼は嘆息し、「で、不審な点ってなんだっけ?」と訊ねてくる。――資料を読んだんじゃなかったのか。敦は苦笑しながら、皺の寄った資料をぱらぱらと捲った。
「まずは通報時についてです。事故が起きたのは午前五時すぎらしいのですが、爆発の直後に匿名で通報があったそうなんです。軍警に」
「消防でも市警でもなく?」
「はい。それに事故発生から通報までが恐ろしく早かったらしく、現在発信元を洗い出し中とのこと」
 もう一つの不審な点は、全員が銃で武装していた痕跡があったことだ。身元は不明。遺体の手には自動小銃と思われる武器が高温で融けて肉体と癒合してしまい、検死に時間がかかっているという。その現場をうっかり想像してしまった敦は思わず「うげぇ……」と顔を顰めるが、太宰は「まぁ、あそこはねぇ」と意味深に言葉を濁して苦笑するだけだった。まるで知った場所であるかのような云い草だ。
 気になって問いかけようとしたが、不意に形容し難い匂いが虎の鼻を刺激した。金属やら化学繊維やら人肉やら、とにかく燃やせば不快な匂いを発するものが全て一緒くたになったような刺激臭だ。慌てて鼻を塞いだが、すっかり鼻奥にこびりついてしまっている。苦悶しているうちに、現場の近くに辿り着いた。
 そこにはテレビクルーが何組かいた。各局のアナウンサーが、規制線の前で頻りに状況の説明をしている。さらにその手前には、好奇心に抗えずやってきた近隣住民や近くの企業人といった野次馬たち。奥に見える黒焦げの建物が現場と知れた。
「ゲッ」
 隣を歩いていた太宰が唐突に足を止めたので、敦もそれに倣って立ち止まった。「やっぱりいた……」と心底げんなりした様子で正面を睨め付けている。視線の先を辿ればその理由はすぐに知れた。
「あ、あの人」
 野次馬列の最後方、少し距離を開けたところに、よく目立つ茜色が風に揺れているのが見えた。ジーンズにライダースジャケット。いつも見る帽子に黒尽くめの様相とは印象が全く違って見える。イマドキの若者らしさがあるというか、それでも衣囊に両手を突っ込んで仁王立ちし、事故現場をにらみ続ける姿にはなんとも云えない貫禄めいたものがある。太宰は溜め息をつき、文句を云いながらもその隣に立った。
「マフィアの幹部がこんなところで油売ってていいのかい」
 気配には気付いていたのだろう。声をかけられた本人は顔を顰めて舌打ちすると、「やっぱり手前か」と吐き捨てた。
「知ってンだろ。うちの傘下の取引先だ」
「まさかここに来ておいた﹅﹅﹅が過ぎたとか?」
「違う。おそらくうちに喧嘩を売りたいどこぞのやんちゃ小僧共の仕業だ。しかもご丁寧なことに俺らが動く前に軍警に連絡まで入れてやがる」
 おかげで派手に動けやしねぇ、と低く云い連ねる青年はどこまでも苦々しげだ。
「はぁあ……そんなことだろうと思った。まったく天下のポートマフィアも落ちぶれたもんだね。モグラ叩き程度に手こずるなんて」
「煩ェよ。尻尾巻いて逃げ出したくせに」
 吊り上がった目尻は極悪なまでに鋭い。しかし何を思い付いたのか、はたと眉間から力が抜けた。そのまま今度は口角が上がる。悪い笑みだ。敦がその様子を観察しているということは太宰もその表情の変化に気付いているわけで、「中也」と非難の声を上げようとするが、言葉を発したのは青年の方が少しばかり早かった。「おい人虎」と、これまで認識されてないとばかり思っていた敦は突然名前(しかもあまり呼ばれたくない渾名だ)を呼ばれてびくりと肩を揺らした。
「アンタ、これから仕事だろ。軍警の奴らに挨拶してこなくていいのか?」
「ちょっと、中也」
「俺はこの木偶と話がある。――なに、そう手間を取らせる心算はねぇよ。此奴が逃げねぇよう見張っといてやる」
 太宰が止めようとするが青年は聞く耳を持たない。そういえばこの人、太宰さんの相棒だったんだっけ……。敦は二人を交互に見遣り、煮えきらないながらも「じゃあ、行ってきます」と、軍警担当者の元へと急ぎ向かった。

 挨拶とカンタンな状況説明を受け、現場検証は太宰とした方がいいだろう、と判断して一旦戻る途中、声が聞こえた。
「……まったく、この貸しは高くつくよ」
「分ァってる。第一これは俺の独断だ。手前らの害になるようなことはしねぇよ」
 離れていた時間としては十五分程度だが、どうやら話はついたようだった。もう戻っても大丈夫だろう、とホッと息を吐く。
「それにしてもいくら目立たないようにするためとはいえ何も冴えない高校生に擬態する必要はなかったんじゃない? ……あ、元から高校生だからしょうがないのか」
「誰が高校生だッ!」
 舌打ち。鋭く尖った双眸は今にも人を殺してしまいそうだが、走り寄る敦の姿を捉えるとすぐに怒気を収め、深く息を吐き出した。
「あーあ、それにしても今日はほんとにツイてない。ただでさえやる気が出ないというのにちびっこマフィアに脅されるなんて」
「おい、人聞きの悪ィこと云ってんじゃねぇよ糞鯖。取引だ、つったろ」
「おんなじことでしょ」
 相変わらずやり取りに棘がある。今朝はもうひとりの先輩の大事な眼鏡が割れるのでは、とはらはらしたものだが、二人の間に漂う今すぐ銃を構えて乱射しそうな気配にははらはらどころか冷や汗が後を絶たない。こんなに仲悪いなら関わらなければいいのに、と思った。――刹那。
「――……ッ!?」
 何事か考える素振りを見せていた青年が、「そうだな」と呟いたところまでは聞いていた。何が「そうだな」なのかは分からなかったが、彼は徐ろに太宰のループタイを掴むと、やや乱暴に引き寄せ口唇を押し付けたのだ。太宰のそこに、何の躊躇いもなく。
 中腰になった太宰も驚いて目を丸くしていた。あの先輩すら予期しない出来事だったらしく、反応らしい反応は何もない。ただ、あれだけ驚いた様子の先輩は後にも先にもきっと見ることはないだろうな、と頭の冷静な部分が勝手に分析していた。
「手付金だ。ちゃんと働いてくれよ、タンテイさん」
 パッと離れ、汚れた口元を親指で乱雑に拭ってにやりと笑う。踵を返し、何事もなかったように立ち去る背中は小さいのに何故だか大きく見えて、敦はぽかん、と開いた口が塞がらなかった。なんと豪気な人だろう。
「はァああああ……」
 突如響いた地の底から湧き上がるような溜め息。ぎょっとして横を向くと、口元を覆った先輩が茜色の青年が去っていった方を睨め付けていた。「最ッ悪。いつもは自分からなんて絶対しないくせに」と低く唸っている。指の隙間から除く顔がちょっとだけ赤くなっているが、鳶色の双眸に宿るぎらついた獣の獰猛さに思わずぞくり、と背筋が震えた。

 その後間もなく、当局による件の鋳鉄工場の本社事務所の家宅捜索が行われ、犠牲者の武装については近年非合法粗s期からの脅迫被害が増えていたため当局の許可を得て一時的に蛍光していたものだと結論付けられた。逮捕・勾留された酒販組織は逮捕時点では既に満身創痍で、主犯格の男は不慮の事故で数日前に死亡した﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅ということになっていた。下っ端連中がポートマフィアの関与を声高に叫んだが証拠不十分のため聞き入れられることはなく、万事解決と相成った。
 二人の間でどんな取引が交わされ、先輩がどんな手法で事件を解決したのかは不明だ。分かるのは一般人の僕では絶対解決できなかっただろうということと、二人の関係は深く追求してはいけないということ。本件の報告書はそのための反省文として、粛々と受け入れるしかないのだった。

あとがき

ポトマと探偵社が日常業務の中で明確に手を組んで行動することはないと思ってますが(原作の非常事態を除く)、鉢合わせた結果双黒として行動し出す二人は永遠に見ていたいですね。

初出:2021年6月7日


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