昔に比べれば包帯の数も減ったし、傷を覆う綿紗もない。わざわざ銃撃戦の只中に道化のように躍り出る男だったから、そういう世界から身を引いた今となっては、無駄な怪我をすることもないのだろう。精々、趣味の自殺で思いがけず人に見せられないような傷ができたとき、申し訳程度にその白で覆い隠すくらいだ。
服を脱いで身一つになれば、その白の多さに懐かしい想いに駆られることがある。逆に、日に焼けぬ青白い膚が露になったりすれば、珍しいものを見たようについまじまじと見てしまう。「なに」と不機嫌に声を低くする男に、「勿体ねぇな」と告げて戯れに腕や首、胸に触れたのも、一度や二度ではない。
今日は多くもなく、かといって少なくもなかった。ようは「いつも通り」というやつで、躰を重ねていると時折擦れてわりと痛い。ただ行為に没頭している間に互いの汗でじっとりと湿っていき、留め具がずれてほどけかかるのも常なので、最後には全く気にならなくなっているのだけれど。
行為が終わって簡単に後処理を済ませる間に再び元の白が太宰の膚を覆った。
なぜこうも頑なに外さないのだろう。
上下する胸を惘乎と眺める。半開きの口からこぼれる浅く静かな寝息は規則的で、試しに胸元の包帯の端に指を引っかけてみるが、起きる気配はない。
策士の仮面を剥いだ顔はまるで幼い子どものようだ。力なく閉じられた白い瞼も、そこに陰を落とす長い睫毛も、黒い蓬髪が縁取る形の良い頬のラインも。
整っていると評されるその顔は、慥かに、そうと認めざるをえないほど整っている。無論、黙っていれば、の話ではある。その顔を見ているとむくむくと湧き上がる悪戯心に、嘘はつけなかった。
もう一度、包帯塗れの胸に触れる。巻いたばかりで膚に馴染むまでまだ少し時間がかかりそうなその側面を、心の臓の辺りから左胸の先に向けてつっと人差し指を這わせる。「んっ」と微かな声が漏れたのでぴたりと手を止め様子を窺うが、まだ覚醒には至っていないようだった。そうなれば、悪戯も少しだけ大胆になる。
包帯に潰された小さい突起は柔らかく、自己主張することもないけれど、ピンと指で弾けば反射的に肩が震える。中也は蒼い瞳にきらりと輝きを宿し、口角を上げ犬歯を覗かせた。
こんな好機は滅多にない。
包帯越しに、突起の周りに指を這わせる。円を描くように、時折中心を引っ掻くように。
それはいつもこの男がする手管だった。胸を弄られて感じるなどあるわけないと思っていたのに、情感を引き出すのが矢鱈と上手い。直接的な刺激がなくても感じ入るようにされてしまったこの躰では部下と温泉に行くこともできやしないのだけれど、それをこの男も思い知ればいいと、頭の片隅で思っていた。
しかしそんな些細な反抗心と悪戯心は、頭の下でもぞりと動いた腕に呆気なくへし折られる。包帯の下で少しずつ固くなっていた粒を擽ったり弾いたりすることに夢中になっていたところに、「中也。」と起き抜けの掠れた声が耳を嬲ったのだ。そして怯んだ瞬間を逃すことなく、ぐるん、と躰は反転させられ、あっというあの整った顔に視界を埋め尽くされる。
「何してるのかな、君は」
「いや、包帯巻いたままで鬱陶しくねぇのかと思って」
「へぇ……私はてっきり、中也に寝込みを襲う趣味でもできたのかと思ったのだけれど」
何も云えなかった。事実、途中から意図はまったく擦り変わっていたのだから当然だ。
「……どけよ」
「やだね」
腹の上に乗られ、手は頭上でまとめ上げられ、いくら力に自信はあっても体格差ゆえに男を退けることはできそうにない。むすっとした顔に、太宰は蕩けるような微笑を向ける。さぞ気分がいいのだろう。「そうだ」と云う声もどこか弾んでいた。
「君もやってみるかい」
「はぁ?」
意味が分からなかったが、ちょっと待ってて、と云ってあっさり退けた男が部屋の外から持ってきたのは、白い巻物状の塊だった。その間に半身を起こしていた中也は、どうして大人しく待ってしまったのかと全力で後悔した。
「手前……」
何をする気なのかがすぐに分かってしまったからだ。
しかし逃げるのが少しばかり遅かった。寝台に勢いよく飛び乗った男に再び背後から身動きを封じられ、いよいよ悪寒に背筋が震えた。粟立つ膚など気にも留めず、肋骨の辺りからくるくると包帯を巻かれる。その手際の良さは流石のものだ。
「夏場は慥かに鬱陶しいけどねぇ。今時分だと逆にちょうどいいのだよ」
「防寒具かよ、もっとマシなもんあんだろうが」
「ま、ヒートテックみたいなものだね」
「ンだよそりゃあ……って、コラッ」
軽口の応酬に気を取られている間に、押さえ込まれていた腕にまで包帯が巻かれていた。そちらは拘束が主な目的だろう。乱雑な巻き方で両腕がみるみるまとめられていく。
「これでよし」
「よし、じゃねぇよ莫迦。とっとと外せ」
「何云ってるの。ここからが本番でしょう」
そう云うなり長い指先がピン、と突起を弾いた。飛び出しそうな声をすんでで呑み込む。
それを見てますます上機嫌になったのか、「こうだったかなぁ」と、何やら態とらしい声とともに、触れるか触れないかの力加減で突起の周りを擽り出した。
「ほら、どう? 気になってた包帯の感触」
「ッ、とに、碌でもねぇことしか考えねぇな、おい」
「最初に仕掛けてきた奴に云われたくないね」
くすくすと笑いながら、指先は休みなく包帯の上を這う。綿紗のざらざらとした感触が、直接触れるときとは異なる情感を齎すようだ。いつもその指先に翻弄されている躰では、どうしたって受け止めきれない。こぼれ落ちる小さな喘鳴は、いつもより熱を帯びるのが早かった。
「ちょっと、感度良すぎじゃない」
「……うるせェ」
「包帯の所為? それとも、縛られてるみたいなこの格好の所為……?」
「――ッ」
ふぅ、と吐息が耳を擽り、剥き出しの首から鎖骨のあたりを舌が這う。それだけでぴくぴくと腰が引けてしまい、理性の糸が焼き切れてしまいそうだ。それなのに太宰は、あろうことか中也の躰を寝台に沈めると、包帯越しの胸に濡れた舌先で触れた。
「なっ、どこ舐めて……ッ」
「どこって……乳首?」
「云うンじゃねぇよ! そして舐めンな!」
「え、なに照れてんの? 中也が照れても全然かわいくないんだけど」
「照れてンじゃねぇ、気持ち悪いっつって……ん!」
飛び起きて文句を云おうとしたが叶わず、包帯越しにぱくりと突起が口に含まれる。
ざらついた綿紗の感触に、じんわりと染み出してくる唾液が絡んで、毛羽だった繊維が変に皮膚に纏わり付いてくる。直截の刺戟でない分、その感覚は二重にも三重にも折り重なって、後から後から快感が追いかけてくるようだった。
「……うわぁ、見えない所為か余計にエロいね」
「ッ、この変態が」
「だから、先に手を出したのはそっちでしょ」
ふぅ、と。濡れた場所にかかる吐息はやはり、生身に受けるものとは違う。包帯は濡れたまま、なかなか乾くことがないからだ。ひんやりと冷たく、それも相俟ってツンと固く尖ってしまう。
(くっそ……此奴はそんなことなかったのに)
ムカつく腹の奥で何かがざわめく。つい数時間ほど前までさんざん愛でられていた場所だ。そこから溢れる情欲はもう誤魔化しようがないところまできていて、中也は唯一自由な脚を立て、夜着越しに主張を始めていた太宰の雄に膝頭を擦り付けた。途端に、常夜灯の陰に沈む黒目が獰猛な色を湛えたのが見えてしまった。――しかし、それはすぐに鳴りを潜める。
「うふふ。まだ駄目」
「……チッ」
強靭な精神力で獣を押さえ込んだ太宰は、今度は反対側の突起に舌を這わせた。もうすっかり固くなっているそれは、包帯を押し上げるように浮き上がっている。そこに歯を立てられてしまえば、漏れる嬌声を抑えることなど、できるわけもなかった。
「……なぁ、太宰」
どろどろに蕩けた思考が漸く戻ってきた頃。長いこと包帯で縛られ変な痛みを訴え始めていた肩には目を瞑り、暫く気になっていたことを口にした。
「手前も乳首感じてたんじゃねぇの、実は」
「……やられっぱなしでこの私が黙ってるわけないでしょ」
――なるほど、そっちが答えか。
少し汗の匂いが残る腕に頭を乗せて、もぞもぞと居心地のいい場所を探す。そして目を閉じると、骨張った手が髪を梳いた。その手付きがあまりに優しくてうとうとしていると、
「また次こういう悪戯したらもっと非道い目に遭わせるから」なんて物騒なことを云う。
「同じ轍は踏まねぇよ」
流石に懲りた。ほんの少しの出来心で仕掛けた悪戯が何十倍にも返ってくるなんて、分かってはいたけれど、次の日が休みじゃなければ絶対御免だ。
でも、まぁ。
(うまくいきゃあ、日頃の鬱憤が晴らせるかもなァ)
そう思えば少しは溜飲も下がるというもの。
けれど結局男のいいようにあしらわれ、翻弄されることなど、このときの中也には知る由もないことであった。
(了)