両片想い

 租界近くの工場通りにある物流倉庫の一つがとある組織の改造武器の製造拠点となっているらしい、との情報提供タレコミが入ったのが昨日の夕方のこと。帰ろうとしていた太宰の襟首を掴んだ国木田は、サボり癖のある同僚に「調査はお前が行け。その手の案件には詳しいだろ」とにべもなく告げた。潔癖のきらいがある彼が、聞く人が聞けば分かる含みを持たせて云ったことに些か驚いてしまい、逃げる時機タイミングを逸してしまったのはまったくの不覚である。
 厭だ、とひと言云えば「仕事だ」「我儘を云うな」「これだから貴様は」と小言が十倍になって返ってくる。しかも翌朝はこの同僚に頼まれたらしい敦と鏡花が迎えに来てくれるというVIP待遇っぷりだ。探偵社きってのお母さんは容赦がない。廃棄された輸送用コンテナの周りを黒塗りの車が困惑した様子で遠巻きにぐるぐる回っていた頃が懐かしかった。
 頭が覚醒しきらないまま半ば引き摺られるように探偵社に向かうと、既に席について新聞の四コマ漫画に笑い声を上げていた探偵社の頭脳ブレーンが矢庭に「がんばってきなよ、太宰」と若気ニヤついた口許を隠しもせず云うので、寝起きのテンションはさらに下降の一途を辿った。何をがんばれというのか――理由は分かりきっている。
 ヨコハマ裏社会に出回る銃火器の類は専ら、ポートマフィアが売買の既得権益を握っている。非合法であることに変わりはないが、マフィアを介さず海外から武器を仕入れるのは勿論、購入した武器を改造して転売しようものなら即、マフィアによる苛烈な粛清の対象となる。
 だから、話を聞いた時点である程度の予想はできていたのだ。
「ねぇ、ポートマフィアの五大幹部ってそんなに暇だったっけ」
 目標の建物から少し離れたところにある、今ではすっかり廃墟となった雑居ビルの物陰。建物横に置かれた室外機は沈黙して久しいらしく、長年風雨に晒された所為か黒ずんだ汚れが目立っていた。
 その室外機に腰掛け、膝の上で頬杖をつきながら、太宰は目の前の小柄な男に話しかけた。「わざわざ幹部自ら斥候に来るなんて。よっぽど暇か、でなきゃ人手不足? 信頼足りてないとか?」という半笑い気味の揶揄を含んだ言葉に相手は分かりやすく舌打ちし、腕を組む。
「どこぞの自殺志願の裏切者じゃねぇんだ、ンなわけあるか」
「じゃあなんで来たのさ」
「それは、」
 剣呑な二人の会話を断ち切ったのはザザッという砂嵐のような乾いた音。中也は左の手套を脱ぐと無線機の周波数を合わせ、右耳に付けた集音器に意識を集中させた。太宰の位置からは微かにしか聞こえなかったが、どうやら周辺に張り込ませた黒服たちからの報告により、標的が「黒」であることが判明したようだ。中也は表情を変えることなく二、三指示を出すと、無線機の電源を落とし、顔を上げた。
「ってなわけで、悪ィが探偵社の出番はなくなった」
 とっとと帰るんだな。
 しっしっ、と犬でも追い払うように左手をひらひらさせる。なんとも小憎たらしい顔だ。太宰は長い足を殊更強調するように反動を付けて立ち上がると、外套に付いた汚れをはたき落としながら「そういえばさ」と元相棒の目の前に立った。意思の強そうな青い双眸が、真っ直ぐ太宰を睨み上げてくる。
「昔、二人でこうして張り込みの仕事してたとき」と、剥き出しの左手首を徐に掴むと途端にピン、と張り詰める空気の糸。その手を引き寄せれば、思ったよりも油断していたらしい矮躯は呆気なく腕の中に収まった。驚きと抗議の声を上げようとした口を、見上げた瞬間を狙いすまして塞いでやる。鼻から抜けていく声が、吐息が、いっそ腹立たしいほどに艶を帯びている。
「は、……んんッ」
 熱い口腔内。反射的に逃げる舌を捉え、吸い上げれば、およそ路地裏などという場所に似つかわしくない水音が淫らに響く。微かに匂うのは男が愛飲している煙草の香りか。その苦味に顔を顰めながらも舌の付け根から裏側のあたりを擽るようになぞると、いよいよ腰から力が抜けた。支えながら、やっとのこと開放してやる。
「……接吻でどっちが先に音を上げるか勝負したことあったよね」
「っ……、テメ、いきなり何しやがッ」
 ギッと睨む青い視線はどこか甘く蕩けているようで。汚れた口許を袖口で乱雑に拭う中也を壁に押し付け、見下ろす。
「無線機の電源切り忘れててさ。君の声が部下たちにダダ漏れで変な噂流されたりもしたっけ」
 後ろは壁。正面には太宰。手と腰を取られて逃げ場などないように見えるけれど、本来であれば、中也にとってそこから抜け出すなど造作もないことの筈だった。しかし彼はそれをしない。荒くなった呼吸を整えながら「いつの話だよ」と肩の力を抜いて呆れ顔を浮かべている。
「それから君、無線機の電源をマメに切るようになったよね」
「……」
 口を「へ」の字に曲げ、視線を横にずらすのはまさしく図星だからだろう。
 太宰が組織を去ってからどうだったかは知る由もないことだが、まだまだ部下からの連絡が入らないとも限らないこの状況で電源を落とすというのは、裏返せばそれだけ求められていた、ということだ。――接吻を。
(期待には応えたいところだけれど)
 昼間といえど、建物の影が二重三重に折り重なった路地裏は密会にお誂え向きとばかりに薄暗く、おかげで中也の表情を具に観察するのは少し難しかった。それでも目元の辺りが僅かに艶を帯びているのが見え、小さく嘆息する。そんなもの、中原中也にはまったく似つかわしくないというのに。
「却説……、そろそろ聞いておこうかな」
 壁に押さえ付ける手に力を込める。すると眉間に刻まれた溝が深まり、小刀ナイフを思わせる鋭い眼光が横目に太宰を捉えた。それを平然と受け止めながら口を開く。
「君が私を此処に呼んだ理由を、ね」
「……気付いてやがったのか」
「当然だ。提供元が分からないタレコミなんてただでさえ胡散臭いのに標的は市民も触れたがらないポートマフィアと対立する組織の一つ。しかも武器の製造自体法律で禁じられているのに軍警が動いているという話もない。となれば自ずと可能性は絞られてくる」
 寧ろ気付いていないと思われている方が心外である。ナメられたものだ。……来ることになったのは国木田が妙な気の回し方をした所為でもあるのだが、おそらくそれがなかったとしても、真相を知っているであろうあの名探偵に背中をつつかれ同じ結果になっていたに違いない。
「で、分かっててのこのこやってきた、ってか?」
 先ほどとは打って変わって口角が上がり、鋭い犬歯が顕になる。碌でもないことを考えているときの顔だ。昔とちっとも変わらない。
「逆に聞くが、手前は俺がいると分かってて――何か企んでると知ってて、なんで来たんだ」
「質問返しとは、相変わらず行儀がなってないね。……敢えて答えるなら、昔飼ってた犬が寂しそうに鳴いているのを見たら流石の私も良心が痛むからだよ」
「良心、ねェ」
 訳知り顔で鸚鵡返しにする中也は、どうやら形勢がやや自分に傾いていると感じているらしい。そう。彼の云う通り、分かっててのこのこやってきた﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅のは太宰自身だからだ。だが彼が持ちかけてきた勝負に素直に応じてやる心算は毛頭ない。
「まぁ? 中也がどおおおしても私と接吻したいって云うなら? 部下に指示出しもできなくなるくらいくたくたになるまで相手してやるのも吝かじゃあないんだよね、私」
「はッ!? ばっ、何云って……ッ」
 わざとらしく誇張したド直球な言葉に分かりやすく動揺を示す。そういう微妙に初心なところが残っている辺りはまだ可愛げがあるというもの。中也は、太宰のあからさまな挑発を受け流せなかった自分自身への苛立ちを鎮めるように舌を打つと、今度こそするりと腕の中から抜け出していった。こちらに向けられた小さな背中でぱさり、と黒外套が風に靡く。
「……やっぱ手前は嫌ェだ、糞太宰」
「奇遇だね、私もだよ。おかげで両想いというやつさ」
「……」
 苦々しげに僅かだけ振り返った中也はその後、帽子を深くかぶり直すと黙したままひらりと宙に舞った。重力を極限まで小さくした躰は赤い気に包まれながら、やがて建物の影に隠れて消えた。まったく、便利な異能力である。
「……いい加減認めちゃえばいいのに」

 はてさてこの勝負。先に折れるのは、果たして。


(了)

あとがき

ポトマと探偵社が共同で何かするって絶対ないんだろうなと思いつつ、どっちかが謀って一緒になっちゃった☆は全然ありだなとも思います(結局何でもあり)

初出:2022年8月12日


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