浪士組

 ずしり、と重たい刀。
 柄を握る手に、鮫皮のざらつきが棘のように掌に突き刺さる。汗を掻いて滑るそれが、誤って手から離れてしまわぬよう、中也は深く息を吸い、ゆっくり吐き出しながら握り直した。銀色に輝く直刀の切っ先の向こうに、白布で目を覆われた男のにやけた顔を見る。
「――何か云い遺すことはあるか、太宰」
 少し離れたところから見ていた副長が、静かに口を開いた。その声を背中に受けながら喉を上下させる。
「いいえ」
 両の瞼を閉ざされた太宰は、これからその身に起こることを知らぬわけでもないだろうに、表情には恐怖も絶望もなく、口元には笑みを湛えたままだった。横に控えていた隊士の一人が「笑うな」と気味悪げに顔を歪めながら諌めても何も変わらない。
 当然だ。彼はずっと死にたかったのだから。
 浅葱と白のだんだらを翻していたかつての相棒はもうどこにもいない。今、中也の目の前で正座しているのは、隊を欺き、危機に陥れ、逃げ果せようとした、ただの裏切り者だ。中也は隊規に基づきすり足で横についた。太宰の手に短刀が握らされる。
「嗚呼、そうだ」
 太宰が何かを思い出したように中也を振り仰いだ。布に覆われている筈の鳶色が見えた気がして唇を噛み締める。
 やめろ、見るな。――目が合ったわけでもないのにそんなことを思ってしまう。
「中也、」
 いつものにように軽やかな声。人を小莫迦にしたような響きが嫌いだった。
「君を介錯人に推薦したのは私なのだよ、実は」
「……この期に及んで無駄口か? とっとと切れよ。こっちは準備万端だぜ」
「云われなくても」
 男の手に力が籠もる。それを確認した中也は息を深く吸い込みながら、刀を振り上げた。
 切腹と同時に首を落とす。――それは一見残酷なようだが、ある意味では温情なのだ。自ら腹を切ったところで死にきれる者などなく、痛みに悶え苦しむことになる。ならばいっそ、腹を切るのと同時に首を落としてしまうことで、痛みを感じることなく浄土に渡れるようにと。
 死に焦がれていた太宰にとっては無駄であったかもしれない。
 男の手が動く。阿吽の呼吸で、刀を振り下ろす。
 僅かなズレも許されないその儀式めいた処刑の瞬間、中也は太宰の最後の言葉の意味を理解した。
 ――相棒だから。呼吸の間合いも癖も全て把握しているから。「死にたいけど痛いのは嫌だ」と昔何かの折に云っていた。中也ならその痛みを感じさせることなく、浄土に送ってくれるだろうと彼は考えたのだ。
(……っとに、最後まで胸糞悪ィやつだ)
 掌に感じる頭一つ分の重み。滑らかな銀色の軌跡が、男から容易く命の灯火を刈り取ってしまう。
 急速に掌が冷えていく。「誠」を背負う浅葱色の羽織が歪な朱に染まる。

 ――そこでハ、と目を覚ました。

(……夢?)
 ぼやけた視界の向こうには見慣れた天井があった。重厚感のある木目調の内装は幹部執務室の名に相応しい調度で誂えられ、革張りの長椅子もそれなりに寝心地がいい。――だというのに夢見は最悪で、一度目を閉じ、深く息を吐き出してからやっとのことで躰を起こす。執務室では太宰が、書類に向かって万年筆ペンを走らせていた。
「人の部屋でぐーすか寝こけるとかどういう神経してんの、君」
 包帯に覆われていない方の目が不機嫌を露わに中也に向けられる。しかしすぐさまぎょっとした様子で目を見開き、「中也?」と声を震わせた。
「ンだよ。書類持って来いって云うから来てやったのに。いなかったのは手前の方じゃねぇか」
「……どうしたの中也」
「あ?」
「それ」
 動揺される意味が分からず首を傾げると、太宰はずかずかと大股気味で近付いてきた。気圧される形で後ずさろうとしたが、背中が長椅子の肘掛けにぶつかって逃げ道はあえなく塞がれる。太宰の手が、目元に触れた。
「泣いてる?」
「っ!?」
 中也はすぐに手を払い除けると、自身の掌を目に押し付けた。濡れた感触に、太宰の言葉が事実であったことを知る。これ以上見られるわけにはいかない、と流れるしずくを袖口で乱暴に拭うと、肩を竦めた太宰が徐ろにその手首を掴んだ。
「赤くなるよ」
「……るせぇ」
 しかし、涙は留まることを知らなかった。
 戸惑う中也を余所に太宰は一度距離を置くと、やがて何を思ったか肩に手を置き、顔を近付けた。
「っ、手前ッ」
 ぬるりとした感触が目元を拭った。そのことで顔中に熱が集まったのはほんの一瞬だ。睨み上げた太宰は困惑した様子で眉尻を下げ、 「君の泣き顔を見る日が来るとは思わなかった」
 ぽつり、と力なくこぼされた言葉が耳に突き刺さる。
 慥かにこれまで、他人の前で涙を晒したことはなかった。否、生まれてこの方、涙など流したことはなかったかもしれない。
 太宰の声に引き摺られるように肩から力が抜けていく。つん、と鼻につく消毒液の匂いが、今はなぜだか心地よかった。
「……夢を見た」
 言葉は自然と漏れていた。いつもなら、会報のネタになる! と喜んで揶揄いそうな目の前の男が、一切の感情を読ませぬ黒い瞳で静かに中也が落ち着くのを待っていたからかもしれない。
「手前が、組織を裏切る夢だ。手前は捕まって、処刑されるところだった」
「……へぇ」
 ぽつぽつと紡がれる夢の片鱗は胸の奥をざわつかせる。
 朱に染まった己の手と、慥かに感じた命の重み。「俺が手を下せたことはまだ、いい。現実でだってこの俺がぶっ殺してやりてぇくらいなんだ。本来なら願ったり叶ったりの吉夢の筈なのに、なんで、こんな」
 太宰治を殺したい気持ちに変わりはない。だというのに、実際に手をかけてしまうことはなぜだか「違う」と思ったのだ。自分はこの男を殺したいのか、殺したくないのか。――気付きたくなかったものに気付いてしまいそうで、それが少し、怖くもある。「泣くほど殺したくなかったんだ?」という言葉に反射的に噛みつこうとしたが、その首に巻かれた白い包帯が夢の中で切り落とした頭部を思い起こさせるようで空恐ろしく、視線が彷徨う。
 夢と現実の境界が曖昧になる。この身を支えていた背中が急になくなって、足元が途端に不安定になってしまったようだ。隣りにいることが当たり前すぎて、この手で屠るときになって漸くその存在の大きさを理解させられる。
「……なぁ、太宰」
「なに?」
 顔を上げる。視界はもう、ぼやけてはいなかった。何を考えているのか分からない冷たい黒瞳を凝っと覗き込む。
「俺は慥かに自分の意思でポートマフィアに入った。だがきっかけを作ったのは手前だ、太宰。その手前が組織を裏切るなんてことをしたら、俺は地の果てまででも追いかけて手前を殺す」
 握る刀の重みも、それを振り下ろしたときに感じた命の重みも、全ては夢の中の出来事でしかない。たとえそれが非道く現実味を帯びた感触であったとしても、二人がいるのは武士の時代が終わりを迎える百五十年前の乱世ではないし、頭を垂れる相手も違う。
「やれるものならどうぞ。また泣いても知らないよ」
「誰が泣くかよ、莫ァ迦」
 分かってはいるのだ。あれは現実ではないのだ、と。
 ――だからこそ、現実にならなければいいと心の何処かで願う自分には気付かないふりをした。



(了)

あとがき

お題は新撰組コラボグッズが出た辺りのものだったと思います。太中に来る前にいたのがブランク挟んでとうらぶの土方組だったのでがっつりパロディにするかと悩んだ記憶がありますが、結果として夢オチに。史実になぞらえるより太宰の裏切りに焦点が当たるようにしたつもりでした。

初出:2020年9月20日
※「 #太中文字書き60分一本勝負」より

「よかった!」と思ったらポチッとしていただけるととても励みになります!
close
横書き 縦書き