雨宿り

 倉庫街を抜けて工場通りに出ると、ところどころ昔ながらの商店が点在している。トタンを葺いた木造平屋は、もはや錆び付いて動かないシャッターによって固く口を閉ざされている。軒先にせり出した緑と橙色の懐古的ノスタルジックな縞模様が特徴的なシートも、端の辺りが擦り切れボロボロになってしまっていた。ばらばらと機関銃のような音が、容赦なくシートに叩きつけられている。
 二人がそこに走り着く頃には、世界はすっかり灰色に烟っていた。
 とろりと墨汁をこぼしたような夜の闇が色濃く辺りを覆い尽くす星月夜とは違い、夜間に稼働している工場から漏れ出た光が乱反射を繰り返し、一つ一つの雨粒が光源となったように輝きを放っている。おかげで視界を覆う灰色の窓帷カーテンの全容を視認することができる。それは同時に、二人に対し無情な現実を突きつける舞台装置にもなっていた。
「チッ」
 不機嫌を露わに舌を打った中也は、申し訳程度に頭にかぶせていた上衣を無造作に取り払うと、水分を飛ばすようにそれをばさばさと上下に振った。「ちょっと、こっちに水かかるから止めてくれない?」太宰は鬱陶しげに、飛び散る水滴を手で払う仕草をしてみせた。
「大体、これだけ降ってたらそんなことしたって意味ないよ。三歳児だって分かることだ」
「ああ?」
 同じように水分を吸ってしまった気に入りの帽子でも同様に水気を切る。そこに投げかけられた言葉に、中也は研いだばかりの刃物のように尖った視線を向けた。しかし、そこに映る太宰の表情もまた、不機嫌に彩られている。
「手前が作戦立てたんだろうが。天気予報くらい把握しとけよ、糞が」
「天気予報なんて六割当たればいい方さ。人間が自然現象を完璧に制御・予測できるようになるだなんて君だって思っていないだろ」
「だからって態々降水確率九〇パーセントの夜に作戦ぶつけてんじゃねぇ、って云ってンだ」
 最近の衛星の精度を嘗めんなよ、と得意げに語る中也だが、果たして彼にそんな知識はあっただろうか。大方、テレビで気象衛星の特集でもやっているところを見たのだろう。単純なこの男が食い入るようにして画面を見詰めている様子が目に浮かぶ。
 太宰はこの単純すぎる相棒に深々と溜め息を吐いた。
「まぁ、慥かに今日の作戦を立てたのは私だ。――そこで提案があるのだけど」
「却下」
「……まだ何も云ってないよ」
「手前が普段禄な提案しねぇからだろ」
 衣嚢から携帯端末を取り出した中也が、太宰に視線を向けることなく投げやりに云った。幸い端末は水害を免れていたようで、工場群の明かりとは異なるブルーライトの皓々とした光が、中也の不機嫌が刻まれた顔を青白く照らした。髪から雫が滴り落ち、頬を濡らす。
「もしかして広津さんを呼ぶ気?」
「他にいねぇだろ。部下は手前がみんな先に帰しちまうし。こんな中歩いて帰れるかよ」
「今何時だか分かってる? 日付はとっくに超えてるんだ。いくら広津さんが本部に出てきているからって非常識にも程があるというものだ」
「は! 手前にだけは云われたくねぇ台詞だな」
 とは云いつつ、思い留まった様子の中也は端末を操作する手を止めた。「しょうがねぇから手前の提案とやらを聞いてやるよ」
 その横柄な物云いに太宰は呆れたように肩を竦める。右目を覆う包帯が、水分を吸って重たくなっていた。
「――この近くに、私が普段遣いしている部屋がある」
 向き合って話を聞く体勢になっていた中也の整った柳眉が、ぴくりと微かに動いた。「そこなら君の住処や本部、もしくは最寄り駅まで走っていくより格段に被害は少ないし、着いたらすぐ、シャワーを浴びることもできる。替えの服も――まぁ、君には少々大きすぎるかもしれないが、提供できないこともない。先日君が作り置きしていたアヒージョのタッパーを失敬してきたのが少し残っている筈だから、途中コンビニに寄らなくても食事の心配はいらない」
「……二、三気になる点はあるが、手前を今すぐ殴り殺していいんなら魅力的な提案だな」
「ちなみにそこには網膜認証でしか這入れない最新鋭の警備機構セキュリティを導入しているから、私を殺せば眼球を抉り出さない限り中に這入ることはできないよ」
 にやにやと口角を上げれば、比例して中也の眦が吊り上がる。葛藤しているのだろう。
 何せ彼は明日、彼が敬愛している姐さんとともに、とある企業の代表者との会合に参加することになっている。濡れ鼠のまま一晩過ごせばいくら中也と雖も体調をくずすのは必至。それだけは避けたいと考える筈だった。
 案の定、諦めたらしい中也は苦々しげに溜め息を吐き出し、「分かった」と云って背中を向けた。
「……その代わり、一番シャワーはもらうからな」
「えー、どうせなら一緒に入ろうよ」
「誰が手前なんぞと風呂に入れるか」
 そう吐き捨てるとすぐさま頭と帽子を守るように上衣をかぶり、灰色の世界へと足を踏み出した。

 降水確率九〇パーセント。ほぼ一日中雨が降るだろうと誰もが想像できる数字を太宰が見落とすなど、本当に思っているのだろうか。武器庫を襲撃しようと企てていた有象無象を唆し、悪天候の日に事を起こすよう仕向けることは、太宰にとって造作もないことだった。あまりに思い通りにいきすぎるので多少詰まらなくもあるけれど、その方がかえって躾甲斐があるというものだ。
 ただ一つだけ、太宰にも予想していなかったことが起きた。太宰がシャワーを浴びている間に、先日中也の自宅から失敬してきたアヒージョが簡単ピラフに変貌を遂げていたのだ。普段は誰も立つことのない台所に中也が立ち、「何もねぇな、この家」と文句を垂れながら調理している姿に目眩すら覚える。もしかしたら雨に打たれすぎたのかもしれない。そういえば少し具合悪い気がする。
 そんな太宰の心裡など知る由もない中也は、元がアヒージョだったなど想像もできない少し味が濃い目のピラフを二人の前に置いた。意外なことに美味であった。姐さんからなぜか料理を教わっているという話を聞いたことがあったが、どうやらその腕は慥かであるらしい。つい、「美味しい」と口にすると、中也は頬を紅潮させながら「本当か!?」と身を乗り出すので、そのあまりの勢いに気圧されてしまった。そのときの中也の無邪気な、近年稀に見る毒気のない笑顔が、不覚にも心の奥の柔らかい部分に突き刺さる。太宰は口に含んだピラフとともに、湧き上がる想いを嚥下した。

 雨降りの夜というのも、偶には悪くない。



(了)

あとがき

ストブリ発売前に書いたものなので太宰がコンテナ暮らしじゃない……!ととても新鮮な気持ちになりました。

初出:2020年10月18日
※「 #太中文字書き60分一本勝負」より
「よかった!」と思ったらポチッとしていただけるととても励みになります!
close
横書き 縦書き